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嫌いな人が死んだとき

聞いた見た「事実」を、どう取り扱うかっていうことは、私のような取材をベースにものを書いている(ノンフィクションというジャンルに生息していると他人が見做すような……ただ私の『境界の町で』は私小説だと自分では思ってますけども)人間にとっては割と重要で、そこの考え方が自分と違ったりする作家さんの本を読んだり会ったり話したりすると、なんかモヤモヤすることがあります。

このブログで散々世界に向けて発信しているので今更隠すこともしませんが、双極性障害の診断が下る前、つまり病気の急性期(症状が激しかった頃)には、私は怒りの発作のようなものに常に悩まされていて、え? そんなことで? というような些細なことで激高し相手を追い詰めて、その結果たくさんの人間関係や仕事を失ってきました。

で、今このブログではその「怒りグセ」はまさに病気のせいにしているように私は書いていますが実際のところ、私は20代のころから、つまりこの病気になる相当以前からかなり怒りっぽかったんです。また、仕事を長期間休んだのも、診断を受けた後の一度だけではなく、毎年2月になるとひと月仕事できないってこともザラにあったので、まあ、だいぶ若い頃から双極性障害の症状があったという言い方もできます。

20代の頃の怒りの発作は、体力がある分とても激しかったです。でなぜか、病気診断前の急性期は誰かれ構わず当たり屋みたいにキレに行っていたんですが、若い頃は怒りの対象が限られていて、一緒に暮らしていた男性に対してだけそうとう暴力的な行動を取っていたと思います。
キレた挙句ノートパソコンを川に投げ込んだり、壁に向かって家にある食器や炊飯器などを全部投げて壊したりとか、したこともあります(その食器を全破壊した時に、唯一割れなかったのがDURALEXのコップなのですが、全く無傷で壁にぶつかって跳ね返ってきて足元の床に転がってきたので、一瞬怒りを忘れて感心したことも覚えています。今もそのコップは使っています。耐熱のため、茶碗蒸しも作れるし便利)。
で、今は理解できるし理由もわかるのですが、当時なぜ私が、心許した男性にこうひどい形で発狂してしまうのかよくわからなく、「苦しい」とあるライターさんとの雑談の中で話したことがあります。

取材を受けているつもりはなかったのですが、そのライターさんは私の話した内容ををなんの断りもなく原稿に書き、それを本にしました。
その本がでたのをライターさんのブログで知り、タイトルがもろ私の抱えている問題についての本だったので買って読んでみたところ、私のエピソードがかなり脚色を施されたかたちで誇張して掲載されていました。
それで、わたしはそのライターさんと距離を置くことにしました。

私の話を断りなく本にすることも、恥ずかしい内容(暴力癖等)を書かれることも、文中でひどい人間だと指弾されることも私は別に構わないのです。いや、もちろんちゃんと事前に知らせて欲しいと思うけど、そこは究極のところでは問題にしてません。私は自分が人のことを書いている以上、書かれて当然だと思うタイプの人間です。
ですが我慢できなかったのは事実の取り扱いについての考え方が自分と違ったということです。書くなら私が話したありのまま、そのまま書いて欲しかったということなんです。私は自分の引き受けた事実を、そのライターさんにできるだけ正確に話しました。しかし文章では脚色され誇張されていた。関係者や当事者が読んだら私だと分かるディテールは残っているのがタチが悪いと思いました。なぜなら、私がそのライターさんに誇張して話をしているというふうに、その原稿を読んだ「事実を共有している」当事者や関係者は誤解するかもしれないからです。
これは私はやっちゃダメだろと思っていたし、今も思っています。
なので、私はそのライターさんと疎遠にしたことに後悔していませんでした。

で今日、なんでこういうことを書いているかというと、そのライターさんがまだお若くして亡くなったということを知ったからです。
この報せに触れて、私はものすごく苦しくなった。
生きていてくれれば、その人を疎遠にした自分を許せていたし、ムカついてさえいましたが、それも当然だと思えましたし、そういうふうに人を嫌う自分に罪悪感を持たずに済みました。
しかし生から死へ渡って行ったかつての知人(と言えないほど深い付き合いを一時はしていました)の存在は私をもう一度苦しめました。
ああ、自分さえ寛容になっていれば。許していれば。そしたらこうやって死なれてうわー、仲直りできないままだったわ……。とはならなかったのに。

生きていると大体どうでもいいことで人は人の流儀が許せなくなったり我慢できなくなってそれまでの人間関係を見なおして、距離をおいていくことはままあります。
私も、自分では真実には理解できない理由で絶交されたり、疎遠にされたりしたことは何度もあります。
今日、亡くなった知人の最後の様子をネットで検索して、その生の痕跡をたどりながら、ああ私が死んだとき、私は、私を嫌い憎み恨んだ人間をこうやって二度苦しめることになるのかもな、なんてことを思いました。

本当にモヤモヤしてしまい、『境界の町で』の担当をしてくださった編集者の浅原裕久さんに、「ちょっときいてくれますか」って問わず語りに今書いたことをメールしました。
そしたら浅原さんからごく短い返事が来ました。
「勝手に死ぬんじゃねえ! ってのが、一番のお悔やみかもしれません」
浅原さんの返事はいつも手短で、特に社交辞令とかないですしかまってちゃんな内容だとスルーされるので、だから迫力があってちょっと怖いんです。

そうか、勝手に死ぬんじゃねえ。こっちの心構えがまだなんだよ。許したかったし受け入れたかったんだよこっちは。時間がもっと必要だったの。
「死ねばいいのに」ってのは、嫌いな人へ送る最大の賛辞ですけど、ほんとに死なれると嫌いな人へ向けた憎悪が返り血になって自分にぶっかかってきます。苦しい。
でも、こういう取り返しの付かない感じは、嫌いな人が死んだときの醍醐味かもしれないなんて思った。好きな人なら看病したり見舞いに行ったりできるし葬式にだって出られるから。

私が死んだとき、ああ、仲直りしておけばよかったなとか後悔するかもしれない方がいるなら、そんな時はどうぞ私のことはすっぱりお忘れください。私は、私を拒絶したあなたや、あなたや、あなたを、おそらくあなたが思っているほどこだわって考えていませんから。私はあなたの拒絶に傷ついたまま孤独に悶えて血膿を流して死んだのではない。私は、私に似つかわしい、私にふさわしいような愛と善意に囲まれて生きて死にました。人を愛することもできました、人の役に立ちたいと思うこともできました。だから。ラクにやりましょう。
そうだね、きっと、死んだライターさんも、愛を受け愛を与えて幸福の時間を過ごしていたはずだ。私が知らないだけで。

そして今は、あれだけ自分を苦しめた怒りの感情を手放して、だいぶラクなんだけど、次の目標は怒りっていうものを枯らさずに、いつでも取り出せるようにしておきたいってことです。怒れない人間ではなく、怒らない人間でいたい。