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いしぶみ

2016年6月17日のメモから。

ishibumi.jp

『いしぶみ』最終試写で見ました。

綾瀬はるかさん、素晴らしいですね。
ミニマムなセットの中で、爆心地にいたある中学校の一年生のクラスの生徒たちがどのように死んでいったかを遺族の証言などから構成した原稿を読むのですが、すごく読みがいいんですよね。
セットの中で動きがあるのは綾瀬さんだけ、という役者の存在感が勝負みたいなつくりのパートなので、つい「うまく読んでやろう」ってなってしまうんじゃないかと思ったんだけど、これみよがしみたいな巧さが前面に出ないし、悲惨な話の中にところどころ差し込まれる生徒たちの生前の言葉たちも、淡々と、でもしっかり演技をして読んでいた。
先に泣かれると泣けないっていうのはよくあるんだけど、綾瀬さんの読みは泣きが入らないので、試写場に来た人たちはみんな泣かされていたな。

原爆が落ちた日、広島二中の1年生の生徒たちが、阿鼻叫喚の爆心地の中でやったこと、それは家に帰ることだった。
家に帰って、お母さんに会いたい、お父さんに会いたい。その一心で焼野の中を皮膚を燃やしながら、燃える川の中で溺れながら、それぞれが死に物狂いで、帰った、帰った。
「途中で斃れた子たちはみんな、お母さん、っていいながら死んでいったよ」
母親に再会できた生徒はこんな言葉を残して、母親の腕に抱かれて死んでいった。

小野瑛子さんの話には本当に心が苦しくなった。瑛子さんの姉を助けるために爆心地に行きたい母を、むしゃぶりついて瑛子さんは止めた。母は結局瑛子さんとともに家にとどまった。
「母は、死ぬまで苦しんでいました」と。再会を果たさなかったことを悔いて生きて、死んだ。

そうか、災禍の中では皆、会いたい人に会いたい。そのために家に帰りたい。私には既視感があった。
東日本大震災の時がそうだったからだ。
「今戻ると危ないから」という声を振り切って、多くの人が会いたい人に会いに、危険を顧みず帰って行った。
避難所では再会に奔走する人たちを多く見た。

その時、私は「私には帰るところってないなー」って思って、羨ましいなって思った。
母は死んだし、父には家庭があるし、私は夫と別居していたし、好きな人だってまだいなかった。
今も、さほど状況は変わらない。

今も、私は帰る選択肢を取らないだろうな、とやっぱり綾瀬さんの素晴らしい語りを聞いたときに思った。

今、でも、当時と違うのは、当時はそんな自分が不幸だと、ちょっと思っていたのだ。孤独だから。でも、今はそう思わない。今の私は、孤独に耐えられるほど強いみたいだ。自分のことは自分で愛せている。
私は災禍にあって、帰宅する人間にはなれないけど、そこにとどまって帰りたい人の役に立ってみたいと思った。