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自分の地図をつくろう

新しい場所に出かけて楽しい経験をしよう

私の年齢の時の母を想像してみる

さっきエントリーした記事で、

okaimhome.hatenablog.com

書いたらもういっこ思い出したので書きます。

「毒親」仮説に従って親を全否定している人と話をしていると、案外親を「強大な権力者」だと思い込んでいる人が多い印象を受けます。

自分にとって圧倒的影響を与える権力者であり暴君という印象。

それでふと思ったんだけど、これって子供の時に親に対して抱いた印象をそのまま受け継いでいるんですよね。

でも、今、自分はもうあのころの子供じゃないわけです。

今の自分から、あのころの親を見たら、全然印象が変わったりしませんか?

で、親に対して抱いていた印象を変えて、「毒親人間宣言」を勝手に行うワークっていうのがあるなと思ったので紹介させてください。

 

それは、今の自分の年齢の時、母親は何をしていたか、赤の他人の目線で評価してみる、というものです。

自分のケースを例にしてみますので以下を読んでみてください。

これは以前フェイスブックに書いたものなのですがこれが親を人間にするためのワークとして有効な気がしたので……。

 

いま私、39歳なんですけど、ふと自分の母親が39歳の時って何してたっけと考えました。私はもうこの世に生まれてましたが確か、母は私を33歳で産んだので、私は6歳で小学1年生だったですね。この年、私は自転車で転んで右のこめかみを切り12針縫う大けがをしてます。今も傷が残ってますけど。
母はみさと団地から、同じ市内に中古の一軒家を買いましたね。私の知能テストが県で上位0.1%とかに入る成績だったらしく、突然担任の阿部先生が毎月一冊私に本を渡して読むように言い始めたりして、あれあれ、と思ってるうちに母親もその気になったのか、近所の塾に通わせ始めたのもこの頃だったとおもいます。
父はハイエースにコーヒー豆を積んでその辺を走り回って販売する事業を立ち上げて失敗し、車両関係の会社に就職をして会社員になったりしてました。未だコーヒーメーカーもサイフォンも珍しかったころだから、早すぎましたね。
姉はすごく外見に恵まれていて美人だと評判だったけど物静かで、学校で友達ができなくて悩んでいた。学校帰ってきてから、「明日遠足で一緒にお昼を食べる人がいない」って泣いていたのを覚えてます。それで母は姉をガールスカウトに入れたり、フルートを買ってあげて吹奏楽のクラブに入れてあげたりした。姉はそこで友達の作り方を学んだようです。
母は私の塾代や姉のクラブ活動のお金とかのために、とにかく家でできる仕事を探してきて、内職を毎日やっていました。起きたらもう働いていて、学校から帰ってきたら働いてました。
夏はキャンプに連れて行ってくれました。
渓流をどんどん登って行ったり、釣りをしたりして楽しかった。
自宅のガレージみたいなところにクラスメイトを呼んでバーベキューもしてくれました。

そう考えると、家を買い、仕事をして、子ども二人の個性を見分けながら子育てして、事業欲のある父親の仕事を支えて、相当偉かったなと思います。

自分がなってみて思うけど、39歳って大して大人じゃないですよ。基本的に迷ってるし心は狭いし世間も狭いままだと思います。それでも子供二人いきなりぶっつけ本番で育ててるんだからその度胸は大したもんだよなとか思った。あとあの父親と一緒に暮らせるんだから。
今の私に比べたら、悪いけど老けてたし、けっこう太っていたし、オシャレなんか全然してなかったし、くたびれてもいたけども、でも私にできないことをたくさんしてるなと思った。
同い年の人として母を見たとき、バイタリティあるなと思う。私は自分のことだけやってるし、楽しく暮らしてます。何一つ重なることのない全く違う人生だけど、でも、すごいなーと。
母はその後、父と離婚するときに心労で10キロぐらい痩せて、皮肉なことにそれがきっかけで美しさを取り戻し、彼氏ができたんだけど。
お母さん、転んでもただじゃおきない人だったな。

 

こんな感じです。ああ、よくいるタイプのよくいる人だなって。それはつまり今の私と同じってことです。