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嘘つきが教えてくれること

雑記 映画 ドキュメンタリー 幸福否定の構造

今日、すごく印象的なニュースを読んだので、その話をしたいと思って書いています。

 朝日新聞社群馬県上毛新聞社は27日、同県太田市の臨時職員の男性(23)が海外のゲーム大会で優勝したと報じた同日付朝刊の記事が虚偽だったとして、記事を削除するとともに、謝罪のコメントを出した。

 問題の記事は、臨時職員の男性が、20~21日にフランスで開かれたゲームの国際大会に参加し、対戦型格闘ゲームの部門で優勝したという内容。上毛新聞は「上毛スポーツ」で、朝日新聞は群馬版でそれぞれ掲載した。

 男性は26日に市役所で記者会見を開き、優勝を報告したが、翌日、記事に対する疑問の声が寄せられた。同市が男性を問いただしたところ、渡仏しておらず、虚偽と認めた。(以下略)

www.yomiuri.co.jp

 

 読んで思ったのは「この嘘つきの人って、いい人だな」ってことです。なんか、嘘ってついちゃうことって誰しもあると思うんですよ。例えば「宿題やった?」とか聞かれた時とか。私の場合は「原稿進んでますか?」とか。答えは全然NOなのに「あ、はい、だいたい完成が見えてるんですけど」とか平然と答えてしまったりしてます。私も嘘つきってことです。しかも結構嘘に嘘を重ねたりしますね。「完成見えてる」って言ったあと一夜明けて、相変わらず全く書けてないのに重ねて催促が来た時なんか、「あれ? 朝メールしたんですけど。おかしいなぁ。サーバーの調子がわるいのかな? 再送しますけど、今、ちょっと出先でこれから取材するので夜にならないと無理かも」とかね。そうやって延命をはかったりね。極悪人ですね。

 私、思うんですけど、嘘そのものはさほど悪じゃないと思うんですよ。それよりもっと罪深いのは、嘘であることを認めたくなくて、嘘の上塗りをしてしまうことだと思うんです。

この男性の場合「フランスには行っていません。周囲に行くと言った手前、引くに引けなくなってしまった」って証言をしたそうなんだけど、それを聞いた時むしろ潔くて、善なる言葉だとすら思ってしまいました。

よかったです、嘘に嘘を重ねて、「世界大会はあります!」とか抵抗しちゃうタイプの人じゃなくて。

 これで思ったんだけどこの人と同タイプの嘘つきって、ショーンKさんでしたっけ、外人顔のタレントさん。あの人もそうですよね。決定的な証拠をつきつけられたら割とあっさり「嘘ついてました」って認めてましたよね。

 そういう意味では証拠至上主義っていうか、割と科学的態度を取ってる嘘つきってまだ罪が浅いっていうか。あと、人のせいにしないっていうところも偉いかなと思いました。

 

 罪深いのはやっぱり「STAP細胞はあります!」とか言っちゃったりとかですよね。初めは小さな嘘だったんだと思うんですよ。ただあとに引けなさを感じた時にどういう行動に出るかでその人の品性が出ると思います。「STAP細胞」の人の場合、もう、半ばケツは割れてるけども絶対謝りたくない。謝ったら死ぬ。みたいなそういう悲壮さを感じますよね。人も死んでますし。

 こういう嘘の上塗りをしちゃう人って日常生活でも観察できることがあるんですけど。

 思うんですけど、嘘の定義って何かなって考えた時に、それは単に事実ではないことを言うことではないんじゃないかって。それよりも、一貫性のない態度を取るとか、自分の前言を翻しても保身を図るような人が嘘に値する人間じゃないかなって。

 

 昔、『アインシュタインの脳』っていう恐ろしいドキュメンタリー映像がありました。

アインシュタインの脳 Einstein's Brain 監督 ケヴィン・ハル 撮影 アラン・パーマー 録音 ジェームス・ハイ 音楽 林英哲 製作 BBCテレヴィジョン 1994年 65分

アインシュタインさんが死んだ時、その脳がプリンストン大学献体されたんですが、脳研究をしている研究者が、アインシュタインの脳を持ち去りそのまま失踪した事件があったそうです。で、日本のアインシュタイン研究者の杉本さんという学者さんが、この脳を追っかけて全米をさすらうというものなんですけど。

 杉本さんはついに、アインシュタインの脳を持ち去ったハーヴェイ教授の居場所を突き止めて、会見に至るんですけど、ハーヴェイ教授がいかにも「今も研究を続けている。重要な発見の連続だ」みたいなことを言ってるわけですよ。で、杉本さんは一歩も引かないで(っていうか、結構変わった挙動の人です)、「いやそういうことじゃなくて。あなたの研究がどうなってようがそれはおいといて、とにかく脳が見たいんです。見せて下さい」って迫るわけ。それで、ハーヴェイ教授があとに引けなくなって、「研究室」に招き入れるわけだけど。

 そこはガレージっていうか、ゴミ屋敷みたいな部屋で、アインシュタインの脳は、ゴミ屋敷の片隅に放り出してあって、ホルマリンも揮発してしまって脳が空気に触れてしまってサンプルとしての保存状態も最悪っていうのが大写しになるんです。つまり、ハーヴェイさんが言ってる「研究を続けてる」「重要な発見ばかり」ってことは全部、嘘なんだよね。

 さらに驚いたというか、怖いなって思ったのは、ハーヴェイさんが、アインシュタインの脳を無造作に素手で取り出して、まな板の上にドーンてのせて、切り刻み始めたんですよ。この期に及んでまだ、自分は今も研究しているみたいなポーズを続けてるわけ。

 

 まあハーヴェイさんの場合はもしかしたら、メンタル上の問題を抱えていたかもしれないなって少し思ったんだけど、それを差し置いても、これを見たとき、嘘つきって一言で言ってもいろんな嘘つきがいるし、人外魔境の嘘つきもいてそういうの見ちゃうと圧倒されてすげえし、なんか魅力的ですらある…って思いました。

 

 で、話は変わるようなんですけど、Twitterって、私もう震災前からやってるので6,7年やってるんです。そこにはいろんな嘘つきの人が登場しては「正義の使者」みたいなアカウントに炎上させられて消えていきました。

 私は最近、むしろこういった「正義」のアカウントの人たちって何考えてるんだろうってことに興味が移ってきました。

 というのも、この赤の他人の嘘つきに、正しさを説いてもすごく虚しいし、たいていあっさり謝ってくれないことは、何人も嘘つきをタイムラインで見送ってきた人ならわかると思うんです。

 だって、だいたい、人の行いを糺してメシが食える人はごく一部で、あとはみなさんボランティアでやるわけですよね。お金いらないけどやるってよほどエネルギーないとできないと思うんですよ。しかも明らかな誤りを指摘しても、そういうしぶとい嘘つきって謝ってくれないんですよ、簡単には。消耗するじゃないですか、すごく。

 でも、正義のために、Twitterで嘘つきに謝罪と改心を迫るために腐心してる人ってたくさんいてすげえなって思います。

 それで、最近私、こういう正しい人たちの本当の動機ってどこにあるんだろうって思うんですよ。

 最近思うのはこれはもしかしたら逃避行動じゃないかなって思うんです。怒る人がいるかもしれないんだけど。

 自分が正しさの側に立ってれば、少なくとも自分の心理的負担は軽くて済みますよね、罪悪感とか、やましさとか感じずに済む。少なくとも正しいわけだから自分は苦しまないはず、、、意識の上ではそう思ってるんじゃないかなって。

 でも、自分にとって本来的にやるべきことがあるとわかっているけどそれに向き合うのが苦痛な場合。例えばなんだろ、天職につきたいとか。もっと幸せになりたいとか。何かもう一方踏み出したいことがあるとか。人生を向上させたいとか。でもそういう自分にとっての幸福に向かうことに躊躇している場合、人は正しさを盾に取り、誰かに何かを攻撃したりすることもあるのかなって考えました。

 で、もしこういう仮定が「あたり」っていう場合、その人は自分の本心に嘘を付いているわけですよね。本来的に自分が何のために生きていきたいのか、何を成し遂げたいのか、っていう欲求を誤魔化し誤魔化ししているってことは、つまり自分に嘘を付いているってことですよね。

 で、そんな風に考えた時に、はっとしたんですけど、「ああ、嘘つきが許せない人って、つまり自分と同類だからなのかもしれない」って。だから、嘘ついてうまくやってるように見えるヤツら許せないのかなって。オレより一枚上手の嘘つきがいい思いしてるって思ってしまうのかなって。

 

 なんかここのブログには連日珍説を開陳しているようで気がひけるんですけどそんなことを考えました。

 それで、人は自分に嘘をついてしまうほど、願望通りの幸福を得るために素直に行動を起こすっていうことが実は苦しいことなのかもしれないって、同時に思いました。

 これ、どうしたらいいんでしょうね。

 私は、赤の他人の嘘つきに改心を迫る前に、自分の中の小保方さんを暴れさせないように、自分の人生をどうしたいのか、本心を見極めていきたいなって思います。