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偏食は「私をわかってほしい」という叫び

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沖縄・ジャッキーステーキハウスにて

 

 

私には食べられないものは生牡蠣しかありません。

生牡蠣は大好物だったのですが2度あたり、

2度目は救急車に乗るほど劇症化したので、

これ以上は食べないほうがいいと判断したので

もう、5年以上は食べてません。

 

出されたものは、なんでも食べます。

どこの国に行っても生きていく自信があります。

東日本大震災のとき、取材でずっと

東北に行ってたんですが、

発災直後はまったく食べ物がなくて

飢えた経験をして以降は、

絶対に好き嫌いをしないということが信念にすらなっていて、

なんでも食べられてどこでも眠れる自分をむしろ

誇りにすら思っていました。

 

そんななか、最近割とよく会う、

親戚づきあいのように親しい人の奥さんで、

ものすごく偏食をする人がいて、

その人を観察する機会に恵まれました。

 

一緒に外食をしたり、旅行に行ったりしていたのですが、

その人と食事をすることが私はだんだん

苦痛になってしまっていました。

というのも、どの店に行っても、食べられないもののほうが

多いんです。

当地で評判の店、というところをあらかじめ探していき、

うなぎが名物なら一番美味しいと言われているうなぎ屋さん、

イタリアンで美味しい店があると聞けばそこに、と、

みんなで知恵を出し合って探して行っても、

彼女がいると、「お吸い物が熱すぎて飲めない、

こんなに熱くして出すなんて」とか、

「油っこすぎる。まずい」とか、

「多すぎる」とか、「魚の身が固すぎる」とか、

あなたは海原雄山かなんかですかというぐらい、

絶対に褒めないんですよ。

それでいて食事の帰り道に

コンビニに寄って、おにぎりとかを買って

食べたりしてるんだよね。

 

 

で、私がその店の料理を作ってるわけじゃないんだけど、

なんか自分を否定されたような気になってしまうんです。

あーあ、やだなあって。

日本のごはんやさんて、ものすごく美味しい店と

ものすごくおいしくない店の両極が本当に少なくて、

「まあ食える、そこそこうまい」って言う層が

ものすごく厚いという事なかれ主義な店が多いと思うんだけど、

だからこそ大したことないごはんでも、

一緒に食べる人と「美味しいよね」って言い合って食べたら

それは普通のご飯から美味しいご飯になると思ってるんです。

 

でも、全部disって来るからなあ。

って思ってたら、解ってきたんです彼女のことが。

彼女もおそらく、東日本大震災に被災したら、

体育館の炊き出しのごはんを、

絶対残さず食べると思うんです。

うまいとかまずいとか言ってる場合じゃないですから。

それに、極限状態のあの場で、「熱すぎる」とか、

「豚汁の具の煮方が硬すぎる」とか言ってたら、顰蹙買いますよ。

 

そう、偏食って、その場にいる人達の気持ちを

少しずつ削っていくものだし、

「あれも食えない」「これも嫌い」って言ってる人は

社会人として信用されないと思うんです。

社長さんとか政治家とか、人の上に立つ人で、

ゴハンの好き嫌いしてる人って、

なんか、子供っぽさを感じたり、世間の狭さを感じてしまって

説得力ないじゃないですか。

 

おそらくその奥さんも、そういう「偏食」をすることで

みんなが嫌な気持ちになってしまうことをわかってると思うんです。

で、食べたら食べれないこともないんです。おそらく。

 

じゃあなんでそこまでして食べない、食べたくないっていう

ことを主張するのかって言ったら、

「偏食家」というキャラクターを演じてるだけなんじゃないのかと。

つまり、食事をするという誰にとっても重要な場面で、

「私を解って尊重して欲しい」という悲しい

歪んだ自己主張をしているんじゃないかと。

 

そう考えるといろいろ合点が行くんです。

その人は他にも例えば、

知り合って日が浅い人に対して極端にそっけないとか、

旅行先に枕とシーツを持参してしまうとか、

一見失礼なことをしてしまう人なんですが、

それも、「私は特別デリケートな人間だから、

尊重して大事にして欲しい」ということの

無言の悲しい主張なんだなと。

 

で、それって、ある意味、人を支配しようとしている

暗い気持ちの現れなんだよね。

「ああ、奥さんはこれも食べられないし、あれもだめだから

今日はどこにしましょうか」とかでみんなが自分のために、

お店探しに悩んでくれる、とか、

「奥さんは他所の家に泊まるときに枕とシーツ持参しないと

いけない人だから、あんまり遠出はやめておこう」とか、

そうやって、周りの人の行動を制限することができるわけだから。

 

で、じゃあ、こういう人と、

付き合っていかないといけないとしたら

どうしたらいいのかなって。

彼女とだけ付き合う場面ならわたしは、

会うのをやめてるとおもうけど、

親しい人の奥さんで、ついてきちゃう。

だからしかたない。

で、考えたのは、

 

その人が気に入った店、その人が選んだ店で食事をする。

そしたらまずいって言葉を聞かないで食べられるから。

あともう一つは、

その人に料理を作ってもらう。

これだね。

自分で作ったごはんをまずいと言って食べる人は

いないし、人のために作ってあげたごはんには

「おいしいね」っていう、ことばの見返りがほしい。

それは人情ってもんだと思うので。

人の作ったものをけなして、

暗い自己主張を撒き散らしてしまうより、

彼女に料理を作ってもらって、それをほめて、

彼女の承認欲求を満たしてあげたほうが、

双方にとって平和だなと思ったので。

 

で、作ってもらったら、うまいうまいって

褒めながら食べました。

そしたら、それ以降は、みんなで集まると、たいてい

奥さんの手料理を食べることになりました。

偏食家のメンタリティを

変えることは簡単にはできないけど、

私が辛くならない方法を考えて、やってみたら、

案外うまく行ったという、そういうお話でした。

 

でも、まじで、偏食はやめたほうがいいよ。

たいしてうまくなくても、うまいって食べたら、

それはうまいんだよ。

先日さ、道場六三郎さんと会ったんですよ

彼86歳で現役最高齢の料理人なんだけどこんな話を

してくれました。

 

「未だに味付けってわからない。

信長がさ、磯部氏っていう代々料理やってる人がいるんだけど、

その人におもてなし向けの料理作ってもらったら、

薄かったんだって味が。

それで切腹しろっていうわけ」

「口にあわないから死ねってすごいですね」

「磯部氏って公家に仕えてたから薄味。

武士の荒くれ者が好む味ではないんだよね。

で、もう一回チャンスくれって

今度は塩足して、信長に食べさせたら、

信長がうまいってさ」

「料理作るのも命がけなんですね」

「昔はそうだよね。

戦も突然始まるんじゃなくて

まず偵察があるでしょ。

どっちの陣営につくかとかさ。

それでみんな知恵を絞ってるんだよね。

金の茶室とかつくってみたりね。

ものすごいうまいもの食わせたりさ。

死にものぐるいでおもてなししてたからね」

「すごいもんなんですね」

「それで僕はさ、味って難しいと思ってるの。

料理人を66年やっててもね。今もね。ほんとに。

どれが正解ってないのね。

同じ人間でもゴルフのあとは塩気が欲しかったりとか。

病気で寝てる時は薄いものしか食べられなかったり」

 

だってさ。だから、これうまいとかまずいとかじゃなくて、

作ってくれる心意気に感謝して食べたいなと

私はそう思います。

 

私はレシピ本の収集をずっとやってるんだけど、

そのきっかけになったのは二十代のはじめごろ買った、

壇流クッキングでした。

で、息子の太郎さんもレシピ本を何冊か出してます。

思うんだけど、味は一代よりも二代目以降のほうが

わかるようになる気がする。

だから、檀一雄さんより、太郎さんのレシピのほうが発見が

あって面白いんです。

同じことを、立原正道さんの息子立原潮さんの本を

読んだ時にもそう思いました。

 

ではまた。 

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