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2年前に「死にたい」気持ちにとりつかれて自殺したかった私のいま

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2年たつと……あれ? 「全然死にたくなくなった」

私は自死遺族(母)です。20代半ばで、母を自殺で失いました。

そして、自分自身も長い間希死念慮に悩まされてきました。

人間って変わるもので、今現在の私は、特に死にたいと思ってないですし、むしろやりたいことが見つかったので今はまだ死ねない、ぐらいに思うようになりました。

今、しみじみ思うのは「死ななくてよかったなー」ということです。

そして、かつての自分のように死にたい気分に苦しめられている人や、自死遺族の人たちの役に立てることはないかと考え、作家業のかたわら精神保健福祉士としても活動をしています。

今回は、死にたい気持ちに取りつかれていたころの私と、今の自分の変化について書いてみます。

 

死にたい気持ちの渦中で思った「もしかしてうちは自殺の家系なんだろうか?」

話は私が中学の頃にさかのぼります。

私の母は、アラフィフになってから、フルタイムのOLとして働き始めました。

父が出て行って、離婚したからです。

母の職場のあった神田神保町まで、埼玉県の三郷市から、通勤してました。

私は、中学・高校が三田にあり、母の職場とそう遠くないので、帰りに母と待ち合わせて神保町のランチョンという洋食屋さん兼ビアホールによく行きました。

ご存知の方もいると思うんですが、ランチョンはメンチカツがおいしいんですよね。

母はビール飲んでました。

それで私に言うんです。

「お母さんね、仕事はじめてから、電車乗るようになったでしょ。でね、電車がホームにワーって入ってくるときにね、なんだか無性に電車に飛び込みたくなるのよ。だからいつも、壁に背中をつけて電車が来るまでじっとしてるんだけど」

それを聞いていた中学生の私は、

母が何を言ってるんだか、全く意味がわかりませんでした。

だってこうやってビール飲んでるし。

それに、母には彼氏もできたんです。いわゆる社内恋愛ってやつで。

で、お金は確かにないけど、死にたいって言うほどじゃなくないか? って思ってました。

てか、大げさじゃね? って思ってました。

 

その十数年後、母は、いろいろあって、61歳でほんとに自殺しました。

当時入院していた病院の屋上から飛び降りて自殺しました。

「そういえば、ランチョンでよく死にたい言ってたあれ、ホントだったんだな……」って、母の葬儀が済んでしばらくして、ふと当時のことを思い出したんですよ。

余談なのですが、母は、死ぬ前の3年ぐらい、いのちの電話の相談員をやってたんです。なんか、寒いギャグみたいな話ですが、本当なんです。

私の親世代は、今よりずっと、家族や近親者の自殺=隠したいこと=恥=自殺する人は弱い、っていう意識が強い中で育ってます。

おそらく、母は死にたいという気持ちに苦しめられて、誰かに助けてもらいたかったんだと思います。

でも、自分が誰かに相談するような「弱い人間」だとは認めたくなかったんだと思う。だから、自分がそういう人間だというのはどこかで恥ずかしいって思っちゃってたんだろうと思う。

苦しい、助けてほしい、でも周りに誰も理解してくれる人がいない……。

だから、だから、「相談員」という形でなら、相談を受けるという立場でなら、死にたい人たちとつながって、気持をわかちあうことができるって思ったのかもしれない。

 

私も飛び降りたかった。

母が死んで約10年後、私が今度は双極性障害になりました。

1年4ケ月の自宅療養中は、死にたい気持との戦いでした。

死にたいっていうか、死にたくはないんだけど、死ぬしかないのかな……というか。

衝動的に、バーンと飛び込みたくなっていましたね。飲み会の一気飲みみたいな感じで、根性見せたくなっちゃうっていう感じが近いのかもしれません。

なんか、自分の中の衝動を、形にしたくなってしまうっていうのか。

まず、電車を見ると飛び込みたくなるんです。

私の家の最寄りの駅が地下鉄なんですけど、電車がホームに滑り込んできて、完全に停止するまで、自分が飛び込まないように、柱に背中をくっつけて、じっとしてました。

それで、ああ、これか、お母さんが言ってたのって思いました。

 

それで、今なんですけど、今は別に死にたくないです。

ただ、いつ死んでもいいと思ってます。

で、死にたかった2年前は、飛び込みたいんだけど、ほんとは死にたいわけではないって思ってました。

 

死にたい気持ちですら変わる

アメリカの自殺の名所、ゴールデンゲートブリッジで自殺を思いとどまったひとを数十年にわたり追跡調査をしたら、9割の人はは自殺をせずに生き延びている、という有名なレポートがあります。

 

つまり、一回死にたいピークを超えちゃえば、案外みんな生きてる。

これ、私、わかる気がします。

なんか、もう十分病んだので、今は一回死んでるのと同じぐらいなのかもしれない。

だから、もうあと生物的に死ぬのはいつでもいいや、って感じです。

うちの母みたいに10年死にたい気持を維持してるほうが案外珍しいのかもしれないなと思います。

 

そう、人って変わるんですよね。

それで思い出したのが、吉村昭さんの短編集です。

 

星への旅

星への旅

 

この本の中に自殺志願者たちが集まって一緒に死ぬ話が書かれているんですが、

これを読むと死ぬ気なくします。

この短編は、新聞の3行広告とかで自殺志願者を募集して、集まった行きずりの男女が6人ほどでトラックを借りて荷台に乗り、ある町の海べりの断崖絶壁まで行って、全員の手足をロープでくくりつけて、いっせーのせで飛び降り自殺するというお話なのです。

それぞれの気持がリアルに再現されてて、その中の一人が、

「おれやっぱ死にたくない気がする。でも、もう、空気的に、やっぱやめるわ、悪いけど帰るわって、言えない雰囲気だわ」

って思うんだけど、同調圧力に負け、時すでに遅し。みたいな描写があるんですよ。

 

私これ読んだ時、ああ、死ぬ途中に気が変わったら地獄だよなぁって思いました。

 

死ぬ人に向かって、周りに迷惑かけるとか、悲しませるとか、そういうこと言っても

なんの抑止力にもならないと思うんだけど、その死にたい「気持ち」って、ほんとに信用できますか?って思うんです。

「気持ち」って、変わりますよ。

私はいまと当時では、物事の捉え方が全然違いますもん。

 

「気持ち」って、事実を忠実に映し出す鏡ではないんですよ。

その気持ち、変わることがあるんですよ。

で、気持って、環境を変えたり、物事の捉え方を変えることで自分の力で変える事ができるんです。

環境に関しては言わずもがなで、離婚したり引っ越したり転職したりすればいいんだけど、

じゃあ物事の捉え方はどうやったら変えられるのか。

それには例えば認知行動療法を学ぶのもいいと思います。

 

カウンセラーや相談員、精神科医に思いのたけを気が済むまで話して、自分の話に飽き飽きするほど向き合って、自分の悩みを客観的に見れるほどに悩みぬくのもいいと思います。

例えばこんなサイトがあります。自宅からでなくてもオンラインでプロのカウンセラーのカウンセリングを受けることができます。

心理カウンセリングの有資格者がじっくり話を聞いてくれます【オンラインカウンセリングあらいぶ】(クリックするとカウンセリングサイトに飛びます)

 

繰り返しになりますけど、ほんとに、気持ちって変わるんですよね。

そんなあやふやな気持ちに、命かけちゃっていいの?

私は、自分の気持ちってものを、あんまり信用してません。

今は死ななくてよかったです。そう思います。

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