自分を好きになろう

人生で味わったうれしさも悔しさもフル活用して、新しいことにチャレンジしよう

ナチスがユダヤ人にしたことを具体的に感じられる施設が福島県にあるよ。

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福島県白河市にある「アウシュヴィッツ平和博物館」

 

こんにちは。ナチスドイツってみんな名前ぐらいは知ってて、

「ユダヤ人を虐殺したんでしょ」みたいな知識もあると思います。

日本との関連でいえば、「杉原千畝」さんっていう

外交官がビザ発給して、ユダヤ人を2000人ぐらい日本へ出国(神戸)させ

命を助けてあげたとか、そういうのも有名です。

私は、2014年に、ポーランドのオフィシエンチムに保存されている

アウシュビッツ・ビルケナウ収容所に見学に行き、

2015年には、ベルリン郊外のオラニエンブルクにある

オラニエンブルク強制収容所を見に行ってきました。

具体的にどういうことをしていたのか、見に行って理解しました。

で、ベルリンとかポーランドに行くよりも近い、

福島県の白河市に、アウシュビッツ記念博物館があるんです。

これ、意外と知られてないみたいなんですが、

アウシュビッツ・ビルケナウ収容所から、展示物を借り受けていて、

展示しているので、本物が見られます。

 

 

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外観はこんな感じで、ちょっとこじゃれたお蕎麦やさんみたいですが、

中身はアウシュビッツでナチスがユダヤ人を実際に迫害していた

その道具や資料を見ることができます。

ちょっとこの日、見に行って展示内容にかなりやられて具合悪くなってしまい、

中の展示物の写真が全然撮れてなくて、外観だけですみません。

囚人服とか、140センチのバー(このバーを背をかがめずに潜り抜けることが

できるほどの小さい子供は、収容所に到着後即ガス室行き)とか、

そういうものが展示されてます。

あと、ナチスに迫害された経験のある子供たちが

戦後に記憶を頼りに描いた絵を展示しているのですが、

例えば、父親が牛乳を買いに外に出たら、

SS(ナチスの親衛隊)に、なんの予告もなしに射殺されたシーンとかが

描かれています。

私が見学に行ったときも誰も来ませんでしたし、いつも

人がいないみたいなので、館長さんとじっくりお話しすることもできます。

20分ぐらいのナチスの歴史ドキュメンタリーも見せてもらえます。

アウシュヴィッツ平和博物館Webサイト

 

で、けっこう具合悪くなるので、もし見に行く際は、

楽しいことと組み合わせて行ってください。

近くに有名なラーメン屋さんがあります。

https://retty.me/area/PRE07/ARE163/SUB35105/100000707291/

とら食堂です。白河はラーメン屋さんたくさんあります。

retty.me

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美味かった。平和に感謝しながら食べました。

 

ナチスが何したか、収容所のサバイバーが書き残していますが、

私が一番感銘を受けた本です。

 

 

 

著者はイタリア人の化学者のプリモ・レーヴィさんです。

以下は前に書き残していたメモなので、言葉が硬いですが、

掲載しときます。

・・・・

化学の専門家らしく、いたるところで臭覚の描写が出てくる。

臭覚からどんな記憶を呼び覚ますかというような描写。

ドブの臭いは「甘い」。そうなのだ。

 

言葉一つ一つが正確で、持って回った表現を使わず、

伝えたいことの最短距離をとる言葉遣いをしている。

であるがゆえにこの文章は詩的だ。

例えばアウシュヴィッツに到着したばかりの時。

 

 トラックから降ろされると、かすかに暖房のきいた、がらんとした大部屋に押し込まれた。なんという喉の渇きだろうか! スチームの微かな水音が私たちをたけり狂わせる。四日間も水を飲んでいないのだ。だが水道の蛇口があるではないか。その上に張り紙があり、汚水につき飲用を禁ず、と書いてある。ばかな、張り紙はいたずらに決まっている。「彼ら」は私たちが死ぬほど乾きに苦しんでいるのを知っているから、蛇口のある部屋に押しこみ、「引用を禁ず」などと書いているのだ。私は水を飲み、仲間にもそうするように促す。だが水は生ぬるく、甘く、どぶ臭くて、吐き出さねばならなかった。

これは地獄だ。我々の時代には、地獄とはこうなのだ。がらんとした大部屋に、疲れきったまま立たせ、水のしたたる蛇口を据え付けておくが、その水は飲めず、何かきっと恐ろしいことが起こるはずなのだが、一向に何も起こらず、しかも何も起こらない状態がずっと続くのだ。どんなふうに考えればいいのか? 何も考えられない。もう死んだみたいだ。床に座り込むものもいる。時は水が滴るようにゆっくりと過ぎていく。(p17―18)

 

 

やがて彼らは一列に並ばされ、すべての服を脱ぎ、

靴を脱いで一列に並ぶように命じられる。

 

そうして素裸になったところで、SS(ナチス親衛隊員)が

箒を持ってやってきて、靴をすべて部屋の外に掃き出し、

山積みにして去っていった。

すべての持ち物を奪われ、髪の毛は刈られ、

縞模様の作業着と、木靴を与えられる。

 

窓のない貨車にすし詰めに詰め込まれて

座ることもできないままここに運ばれてきて、

名前を奪われた代わりに手首に認識番号を入墨されるまでの四日間で、

レーヴィは「驚くことに疲れ」、そして「この状態を言い表す言葉がない」ことに気がついて呆然とする。

自分の乗っていた貨車で生き残ったものは4名。

それは生き残りの多い「幸運な貨車」だったと彼は書く。

 

 

レーヴィは、アウシュビッツに1年以上もいたのにもかかわらず、

ガス室での様子を描写しなかった。

焼却炉の内部の様子も描写しなかった。

それは物書きとしてかなり強い自制心がなければ成し遂げられないと思う。

自分はガス室を見たことがなかったし、

アウシュビッツでガス室を見た人間は死んだ人間だから、

というのが彼がこの本でガス室と焼却炉の内部を描写しなかった理由だ。

 

自分のバラックから歩いて数分のところに、

世界で一番有名な惨事の場所があるのだ。

だがレーヴィはそれを素通りした。

それは自分の見てきたものに混ぜ物を加えたくなかったからだと私は思う。

混ぜ物は、体験の純度を低くする。

レーヴィは体験したことに対して敬虔な態度でいたかったのだと思う。

 

 

ガス室と焼却炉の内部の様子を、

世界が知った時に自分も知ったのだ、と彼は書いてる。

彼が現場で知り得たのは「選別」があるということ。

選別されたら「焼却炉」に行くということだけだった。

煙突から煙が出始めると選別が始まった合図だ。

ガス室やチクロンBを知ったのは、解放された後だったと書いている。

レーヴィは、「自分は裁判官ではなく、証言者でありたい」と

現実の現象に接するときの態度を一言で言い表していた。

 

私は何かを書くとき、「今から目線」に陥らないように

気をつけようといつも思っていた。

過去の時制を書くときに、自分の書き出す人たちは過去に生きているのに、

自分だけは「あとから分かったこと」で武装して

「上から目線」ではなく「今から目線」でその時制に

存在するように書くのはなにか不公平な気がしていたからだ。

 

 「今から目線」を装着すると、過去において、

自分は神のようなものか賢者になってしまう。

 

 過去を描くときは私も過去に戻り、

「あとで分かったこと」を排除しようとしているのだが、

レーヴィがまさにその手法を取っていて、すごく励まされた。

 

もう一人、サバイバーと書いた本といえば、この金字塔があります。

 

アドラー心理学が今はやってますが、入門書とかには

よくこの本が引用されてます。

絶望の中でも人は希望をみてしまう、うっかり笑ってしまう、

幸せを感じてしまう、その心の動きについて

考察されていて、興味深いです。

先ほどあげたレーヴィさんは、おそらく自殺だと思うのですが

転落死します。

レーヴィさんの方が、体験の純度が高い記述を残しているので、

私は好きですが、どっちを読んでもいいと思います。

 

それでは。

 

追記・広島県福山市にも同趣旨の展示施設がありました。

ホロコースト記念館/Holocaust Education Center, Japan

【ホロコースト記念館】

 ホロコースト記念館は、1995年―戦後50年の節目の年(アウシュビッツ収容所解放50年、またアンネの日記で知られるアンネ・フランク没後50年の年)に開館しました。
 第2次世界大戦中のヨーロッパで、ただユダヤ人であるという理由で600万の生命が奪われました。彼らはいわれのない差別と迫害を受け、ガス室などで無残に虐殺されていきました。その中には150万もの子供たちが含まれていたのです。
 この記念館は、この「ホロコースト」(ナチスによる大虐殺)を知っていただくために日本で最初につくられた子供たちの学びの場です。
  1995年の開館以来12年間、多くの来館者をお迎えしました。特に日本各地より700校以上の学校など、子どもたちが訪問し、ホロコーストを通した平和の学びがなされてきました。 さらに多くの人々がホロコーストの歴史をより具体的に知り、触れていただくことによって、平和のために自分に何ができるかを問いかける施設を目指して、2007年10月新ホロコースト記念館が開館されました。
 新館は現在の建物の約5倍の面積となり、展示内容も新しくなっています。 この記念館を訪れる青少年が、当時の子どもたちの残した写真や作品などを通して、歴史の現実を学ぶことができますように。そしてこの所での学びが「差別と偏見」のない平和な時代を築いていく助けとなれば幸いです。

(1)住所:〒720-0004 広島県福山市御幸町中津原815
(2)Tel&Fax;:084-955-8001
(3)E-Mail:hecjpn@urban.ne.jp
(4)館内
1階 ライブラリ、ホール・ギャラリー、子どもの部屋
2階 常設展示室、アンネ・フランクの展示室、特別展示室(杉原千畝展)
(4)開館日
・毎週 火、水、木、金、土 10:00~17:00(入館は16:30まで) 入場無料
(休館日 日、月、祝日、8/13~16、12/27~1/5)
(5)団体は予約が要ります。

 

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