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国破れて極道あり! やくざ映画をもっと楽しめる副読本

映画 本の話

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こんにちは。

私が、割とやくざが出てくる映画を見るようなったのが2年ほど前のことなんですが、

で、見たものをTwitterとか昔のブログに感想を書いていたら、それがきっかけでおすすめのやくざが出てくる映画について雑誌に書かせてもらうようにもなったりしたんです。

ただ、全然良くわかんなかったんですよ、最初。

おじさんの顔が全部おなじに見える病(慢性病)にかかってますし、話の筋が見えない。

で、やくざ映画って何本か見て、ある様式を知ると、ようやくスラスラ見れるようになるんですよね。ラノベとかもそうだと思うけど、ジャンルに慣れないとダメっていう。

実録路線の映画の金字塔といえばみなさんご存知の『仁義なき戦い』でしょう。

あ、実録路線っていうのは、実際のやくざの抗争とかを取材してそれをベースにして作ったフィクションの映画のことを言います。

で、一作目、広島死闘編、代理戦争、頂上作戦までが笠原和夫脚本です(それ以降、『新仁義なき…』〜は主に高田宏治脚本)。

この作品から入る人は多いと思います。

で、私この、『仁義なき戦い』って、はっきり言って、やくざの知識がない状態で一回見ただけではストーリーを把握するのが難しいと思います。

登場人物が多すぎるし……、松方弘樹なんて死んだはずなのに、続編でゾンビのように復活して違う役で合計三回出てくるからね。

あと昔の映画って日本語が早くて(架空の広島弁でヘンになまってるだけではない)聞き取りづらくて余計わからん。

私は一回見るのやめて、Wikipediaとかネタバレのサイトであらすじを確認してから見てやっと理解した感じです。

 

で、そんな私がやくざが出てくる映画にハマったきっかけは、『県警対組織暴力』を見たことがきっかけです。

これは、『仁義なき戦い』の脚本家笠原和夫さんと、深作欣二監督のコンビで作った、90分程度のプログラムピクチャーなんですが、笠原和夫さんが描きたい世界である、「押し付けられた組織の論理に抵抗したいけど結局うまく行かずに破滅する」っていう図式がよく描かれていると思います。

本作の良さは、登場人物を絞って簡潔なのでとてもわかりやすいところ。

取り調べと称していきなりやくざをぶん殴って持ち物を奪う悪徳警官文太。

その文太とズブズブに癒着しているやくざの松方弘樹が下品で最高です。

松方が警官の文太に斡旋してもらった女を犯して一言、「ふうーっ、性教育も骨が折れるのお」、とか。

お互い情報を融通しあって仲良くやってたのに、優等生の中央官僚・梅宮辰夫の登場で二人の立場が危うくなり……

全編貫かれてるのは男汁垂れ流しの松方と文太の友情、いや、愛情関係。これはもはや仁義を超えてBLだなと。濃厚なホモソーシャルの世界を味わえます。 

やくざ映画の良さって、まあ、たまにというか結構、作中で殺しあったりするわけなんですけど、敵同士が「我々が正義だ」とか言ってても、そこはやくざなので、説得力がゼロっていうところだと思うんです。だってやくざだし。そもそも反社会でまともな人からお金掠め取って生きてる。そういう人には本来正義は語れないから。

やっぱ「正義の戦い」って見てると疲れます。

それよりむしろ既得権益を持ってる上部の人間に抗いたいとか、単に人間的にムカつくとか、男惚れしてるからどこまでも付いて行きたいとか、そういう理由で人とぶつかってしまう話のほうが私は好きです。

で、笠原和夫さんの脚本って、ムンムンにホモソーシャルなんですけど、これも私の好みに合ってます。やくざの映画にあんまりキレイな女性がメインに出てきてほしくない(極妻は別です)。やくざ映画においては、キレイな女性に人格はいらん、性の対象くらでいいやと。

なんでそう思うかというと、自民党を作った大野伴睦さんと児玉誉士夫さんの墓を見た時に、やっぱ男って究極はホモソーシャルだなと思ったからです。

以前、池上本門寺に大野伴睦さんの墓を訪ねて行ったとき、児玉誉士夫さんの墓所のすぐそばにあったんですね。そして、その周りには児玉誉士夫がかわいがっていた、力道山(葬儀委員長は大野伴睦)、東スポの太刀川社長(まだご存命ですが墓がある)、、、と、生前つるんでた人たちが、死んでもつるんでる! ということに驚いたのと同時に、ああ、男って究極は女より男に惚れるものなんだなとなんか納得した記憶があります。

ホモソの人に、仕事で絡むのはめんどくさいですけどね。。。

 

さて、そういう笠原さんは本を何冊か書いていますが、おすすめしたいのがこれです。

 これは、笠原さんがシナリオライターとしてシナリオの骨法をどう掴んでいったか、その実感を、昭和30年代の駆け出しの時代から、本書の執筆時の平成に至るまでの娯楽映画の流行にふれつつ、同時代人にも触れつつ、書いたものです。これでわかるのはもともと時代劇を書いていた昭和37年当時でさえ、「時代劇はもうネタ切れだ」って言うことを笠原さんが痛感していたことです。

それで新たな活路を開く必要があり、やくざを描くようになった。で、描くのと同時に調べを深めていったそうです。

笠原さんの人間観もよく出てて面白いので、引用してみます。

 

破滅の物語は、成功者の物語よりも、より多く「人生」を語る

 

私の周辺でもギャンブルや女狂いで転落した者はなん人もいるが、これは単なる「人生の失敗者」であって、「破滅」といえるほどの強烈な自意識に沿ったものではない。

 笠原さんが考えるのは、「破滅」は人生一度きりの、凡人でさえもが物語を持ちうる晴れ舞台のようなものだということです。ただ、本当の破滅を成し得たものは、笠原さんが知るかぎり、ストリッパーの一条さゆり、それから、特攻の父大西瀧治郎だけではないかと言っています。

完全燃焼は人生真っ只中の男たちの究極の願望と言えるのではないか。そして完全燃焼のゴールはしばしば「破滅」と紙一重の近くにある。そのひりひりするようなスリルにとりつかれた男の集団がある。ヤクザである。 

 そんなわけでやくざ映画のシナリオを書き始めるわけですが、笠原さんは自分で書いてる通りやくざに関してはまだド素人でした。調べ物と同時に脚本を書いていくという度胸の良さでした。それは

「キリトリ強盗カツドウ屋の習い」 

 つまり過去作品からどんどんパクるぞ、と。そういう破れかぶれさがあったからできた、と書いてるんですが、そういうのすごく励まされます。

要するに、<やくざ映画>が厭で厭で仕様がないのだ。一本や二本なら初物食いの好奇心で、イキがったがったセリフをバンバン書きなぐっていたものが、三作目ともなるともうボキャブラリーが底をつく。土台、この世に居るのか居ないのか、わけのわからない<侠客>なるものの真情をまことしやかに書くのは、ありもしない金を売りつける<豊田商法>のようなもので、小心者にとっては大変な苦痛なのである。

 ほんとの意味での「破滅」を実現できたやくざは、調べる限りほぼ居なかったということで、やくざを描くことに飽き、遅筆に拍車がかかり、だんだんぼやきが増えていきます。同時に高峰秀子さんをはじめとする良識派の役者たちが、やくざ映画制作に反対して出演を拒否したりするようになってきました。

やくざ映画はヒット街道を驀進しつづけていたが、現場の若手監督や社員の一部は、やくざ映画だけは絶対作らないと抵抗して、所内は二つにわかれていた。その人たちの意見は、現実の暴力団に迎合するような風潮を是認するのは、映画人の自主性を喪う、というものであった。

「やくざ映画がいかん言うて、なんで信長や秀吉ならええのや。NHKはあんなもんばっかりやっとるが、アレらのほうが余っ程ようけ人殺してるんや。アホやで、ほんま!」(マキノ雅弘監督の発言)

そして、笠原さんにとってのやくざとは何か。それは、市井の人間が憧れるようなアウトローを孤高に生きているわけではなく、やくざも単に組織人だということを言っています。まさに『仁義なき戦い』ってそういう話ですよね。

要するに日本人は「公務員」が性に合っているようで、ヤクザだって半左翼系の「公務員」だと思えなくもないから、似たような演技で間に合うのであろう。

 で、面白いのは、笠原さんが調べたやくざならではの行儀作法が、こういう実感とともに、わかりやすく解説されているところです。

仁義口上には、「引付け刀の仁義」「盆中仁義」初対面の仁義」「一宿一飯の仁義」「楽旅の仁義」「急ぎ旅の仁義」「伝達の仁義」「伊達引の仁義」の八種があり、それぞれ一応の形式の文句がある。例えば賭場で近づきの挨拶をするときは、「盆中お手留めしまして仁義とは失礼にございます。お許しこうむります。先ほどまいりましたが、目の都合がありまして差し控えておりましたが、五三の丁と見受けました。その前は三二の半、四ゾロの丁、四三の半と見受けます。ご列席の御一同様に御免被ります。ご投書貸元某某さんでございますか。向かいまして上さんとは今日初めてお目通り叶います。従いましてやつがれ生国は……」(田村英太郎『やくざの生活』より)とつづく。然しいまどきこんな口上を長々とやっていては座が白けてしまって、「バカ、来る前に電話で言っとけ!」と怒鳴られるのがオチである。

他にも、旅での行儀として、出されたごはんは二膳食べないとならないとか、豆泥棒(いろんな理由で留守中のやくざの女を寝取ること)は侠客はご法度だが博徒はOKとか、火消しは刺青を入れないとダメとか、いろんな豆知識が盛り沢山で、これだけ読んでても相当面白いです。

で、なんだかんだぼやいてても、よく調べているし、それでも、調べたことにとらわれずに、考証を無視してストーリーとしてのおもしろさを大胆に選びとって行く笠原さんの度胸の良さ(と破れかぶれさ?)には痛快さを感じます。

『総長賭博』は案の定、正月作品としては入りが伸びなかった。私と山下監督は所長室に呼ばれて、岡田所長(当時)から、「おまえら、ゲージツみたいなもん作ったらアカンで!」

おそらく、笠原さんは、この言葉を自分の柱にしたのではないかと思う一節が出てきます。

子母沢寛氏の『遊侠奇談』の中に、「侠客の話は語って面白く、聞いて面白ければそれでよろしいのです」

つまり事実は二の次でいいんだ、と。ちなみに『遊侠奇談』は、私が最近良く行く銚子のそばにある、飯岡とか、東庄という町に、江戸時代にいた実在のやくざ 飯岡助五郎と、笹岡繁蔵についてかなりの分量を使って取材をされている本で、すごく面白いです。そのうち紹介します。

 

こんな風に、高級な芸術とは一線を画するところでうまれた、笠原和夫の脚本ですが、娯楽をしっかり提供しながらも、自分の言いたいこと、見てきた世界はきちんと入れてきています。

殺人の実行に参加した人々がおしなべてカラリと明快な余生を送っているのに比べて、参加しなかったH氏(血盟団事件に参加できなかった老闘士)がいかほどに暗鬱な自責の業火に焼かれ続けているというのは、私の想像を超える人間の断面であった。

アナーキズムの仇花は一度咲くから美しい

前出の<血盟団>の脱落者H氏の場合も、はるかな過去の咎めを見失うことなく、自らを攻め続けて、秋霜烈日の孤絶の生涯を貫こうとする。

 人の立場も、正義も、全部ひとつところにとどまらないし、やりきったものだけが生物学的な死や社会死と引き換えに得られるものもある、でも、思いを残して悔悟に生きる余生もある。みんな愛しいものだ、そんな笠原さんの目線を感じることができる本です。

やくざについての知識も手軽に得られるし、笠原さんの脚本の理解の助けにもなるいい本だと思います。

関連記事もあるのでそちらもどうぞ。

www.okimhome.com

それでは。

 

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