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自分の地図をつくろう

新しい場所に出かけて楽しい経験をしよう

同病の友だち

たのしい生活

私は自分が双極性障害で苦しんでいたことを公表しているので、

同じ病気の人からコンタクトをもらうことがあります。

以前は基本的にお返事をしていましたが、最近はやめてます。

 

理由としては、双極性障害も含めた気分障害は、

急性状態(超具合悪い状態)の時は薬を飲むしかなくて、

そこに同病者としての私のアドバイスが介入できる余地がないからです。

 

さらに言うと、私は薬を飲み続けることに疑問を持っています。

断薬をしてもう1年7か月ほど経ってます。

で、この病気の入門書を読むと、双極性障害は慢性病であり、投薬治療は一生続けなければならないと書いてあるものがほとんどです。

ところが私は、この病気は慢性病ではないと考えているので、薬を飲むのをやめて、認知行動療法的なことをそれと知らずに我流でやってきました。

なので、治療法に関しての相談にも、いわゆる「正解」「王道」から外れているため、乗ることができません。

 

そして何より、同病者の友だちを作ることが、私はその人のためにならないと思ってるっていうのがあります。

この半年ほど、私はとある企業さんに頼まれた脚本起こしの仕事で、がん患者の方の聞き取り取材をしたり、関連書籍をかなり読んできました。

がんの人たちっていうのは、ネットでつながって、治療法の共有をけっこうしてます。

特に予後があまりない人とかは相当集中力を使って情報を精査して、同病者との情報交換をしているなと思います。

それは、メンタル面の安寧にもつながると思うんですが、あくまでも、医療技術に対する情報交換をメインにしていると感じるし、それはそれで意味があると思う。

ところがメンタルの問題を持っている人たちの場合、これは私の主観ですが、同病者とつながる動機は治療法の情報交換というよりは、「今自分がこうなのは仕方ない」ということを、誰かに言ってほしい、という、心の不充足感を埋めるために仲間探しをしているような印象があります。

なんでそう思ったかというと、けっこうたくさん相談に乗ってきたんですが、具体的な自律訓練法についてお伝えすると「それはエビデンスはあるんですか?」とけっこうな割合で否定されるというのがありました。別に、副作用がないものばかりだしお金もかからないのでやってみたらいいのにと思うんですが、頑なにやらない。なんというか、この人は治りたいんじゃなくて、むしろ病にとどまりたいんじゃないかと思うようなことが何度かありました。

 

以前もこのブログに書いたのですが、AAのグループを模した、アノニマスグループで、「私は治るのが怖い」と言っていた引きこもりでうつ病の女性のことをその都度思い出します。

www.okimhome.com

病をハブに仲間作りして、そこが居心地がよくなった場合、居心地の良い人間関係を捨ててでも治癒に向かいたいという気持ちになれるかどうか?

どの病気でもそうですが、病気になって初めに必要なのもは「治すと決めること」です。

つまり決断の段階で躓いてしまいませんか?

病気のあなたじゃなければ友達ができなかった、という状態にとどまるのって悲しくないですか?

病気じゃないあなたはもっと魅力的だと思います。

病気でつながるのはやめよう。

 

私は自死遺族でもありますが、私は悲しい出来事はどんどん忘れたほうが良いと思っているので、自死遺族の会とかで傷や痛みを共有してその話ばかりをしているのはある時期までで切り上げて、次に行ったほうが、いいんじゃないかと思っています。

 

先日、トークイベントでご一緒した田房永子さんから教えていただいた、依存症専門の雑誌「季刊ビィ」にて、小田嶋隆さんのインタビューが掲載されていました。アルコール依存による入院を経て、断酒20年なさっているコラムニストの方です。そこにこんなことが書いてありました。

 (断酒をはじめて)飲み仲間に関しては、意外とあっさり交流を絶てた。

「実は大して懐かしくならなかったんですよ。考えてみると、友だちじゃなかったから。酔うと泣き上戸になる人がいるけど、僕の場合は『友情上戸』だったんでしょう。一緒に飲んで笑ったり意気投合しても、実のある話なんてしなかった。そういう相手とお茶を飲んだら、30分も会話が持たないでしょう」

 

友達ってなんだろう? 自分の不充足感や何かの欠落感や、寂寥感を、友達が埋めてくれるとしてもそれはまたすぐに干上がってしまう。自分のことは自分で満たさないとならないと思います。「同病の友だち」というものに感じる危うさを、小田嶋さんはこんな風にスパッと言い切ってました。

 

走り書きですが、最近思ったことを書いてみました。