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自分の地図をつくろう

新しい場所に出かけて楽しい経験をしよう

治癒することと無害になること

十年以上前、月刊誌でノンフィクションの編集をしていた時に、事件取材と並行してやっていたのが女性の性愛についてのレポートだった。主に、筆者の女性たちのある種特殊かつ過剰な性遍歴を赤裸々に綴ってもらうというものだった。
今思うのは、彼女たちの多くは境界性パーソナリティ障害だったのではないかということだ。
境界性パーソナリティ障害を持っている人たちは、簡単に言うと、普通の人たちより何倍も「見捨てられるかもしれない」という気持ちを持っている人たちだ。だから、自分に接する人たちの何気ない動作を、すべてその不安に結びつけて考えてしまう。その結果、激しい怒りをあらわにしたり、見捨てられたくないという気持ちのあまり人から過剰に求められたくて性依存に向かわせたり、自傷行為や自殺未遂をして他人の気を引いたりする。


私が付き合ってきた数多くの女性の著者たちが仮にこの病気を持っているとしたら、見捨てられ不安とか自己不全感を他者から求められることで埋めたいということが性依存に向かわせる。それを、ヘタに筆が立つ人たちだから、「面白おかしく」書けてしまう。
私は、身体を使って仕事をすることを別に悪いことだとは思わない。ただ、動機が自尊心の欠如からくるものだとしたらそれは痛々しいものだろうと思う。
物書きとしての需要が生まれ、別の意味での承認欲求の満たし方を知った人たちはそこでもう一度人生を始める場合もある。
が、気になっているのは性依存を拗らせ、書くことをやめてしまって消えて行った女性たちだ。

こういう女性は多い。というか、多かったような気がする。
彼女たちの見捨てられ不安は私にも向けられていて、編集者の私に「あなたは私の魂の双子、私は物書きとしてビッグになるから伴走してほしい」と半端じゃない密着をされて、ちょっと手が離れてしまうと、ものすごい勢いで罵倒されるっていうことを何度か経験もした。
境界性パーソナリティ障害は30歳を超えると症状が落ち着くと書いている本がとても多いのだが、そうではないと思う。
自己愛の病的な欠如が、他人への見捨てられ不安とか、承認を求める病的な欲求を生んでいるのだから、自己愛についての問題に向き合わない限り苦しみはなくならない。
症状が落ち着くのではなく、他人にとって無害になるってだけだと思う。それは外見の魅力の衰えから、人を引き付けることができなくなっていくこと、また既存の人間関係を焼き尽くしてしまっていることなどからだ。無害になることと治癒することはまた別の話だ。苦しみはなくならないし、絶望感は深くなるだろう。

病や欠損した感覚が、モノづくりに向かわせるということは本当によくあることなので、病気を原動力にした芸術があることを否定するつもりはありません。
ただ、苦しいなら。自分の症状に向かい合うための違うアプローチをしてみることを私はお勧めします。

なお、境界性パーソナリティ障害は治すことができるので、「治らない」という俗説を捨ててぜひ自分の認知の歪みに気が付くための練習をすることをお勧めします。