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自分の地図をつくろう

新しい場所に出かけて楽しい経験をしよう

私は超能力が使える。

私の生まれたところは埼玉県の三郷市にある三郷団地ってところでした。

そこに6歳までいました。

そのあと、三郷市早稲田というところに引っ越しました。

先日、スタンドバイミーみたいな事件があったところです。

少年たちが三郷市早稲田の中で探検遊びをしていて、民家に入り込んで、カーテンを開けたら首つり死体を発見してしまったというそういうところです。

 

で、90年代の初頭はまだスマフォもLINEもSNSもなかったのですが、テレビはありました。

95年頃に阪神淡路大震災があり、地下鉄サリン事件がありました。

 

でももしこれが江戸時代だったら、サリン事件も阪神淡路大震災も、たぶん今よりかなりタイムラグがあって三郷という「ムラ」に伝わってきたんじゃないかなと思います。

 

三郷の出来事は三郷の中で消費され、その代わり、名古屋の殺人事件や相模原の障害者施設の殺傷事件は「遠い村の出来事」としてかなり遅れては入ってきたんじゃないかなと思います。

 

何が言いたいかというと、遠くの情報をゲットできるということの良し悪しについてです。

私たちはスマホという自分で情報を取りに行くツールをゲットしました。

テレビみたいに一方的に何かを送り込んでくる道具ではなく、

自分が知りたいことを自発的に知ることができるという意味で

スマフォ(インターネット)は画期的なツールです。

それはほとんどスマフォがない時代の人からしたら、

スマフォを持っている私たちは超能力者だと思います。

私もみなさんも超能力が使えるわけです。

 

で、その超能力を使って、世の中の暗いものばかりを見に行っている人。

逆に、いいところ明るいことを見つめようとしている人。

超能力の使い方も様々です。

 

ただ言えるのは、良いことにせよ悪いことにせよ、

インプット過多であることは間違いないと思います。

特に悪いことばかり知ろうとすることって結構心をむしばむ気がします。

その暗い事件、事故って、知ったところで私の生活を向上させてくれますか?

って考えるとほとんどは、心が苦しくなる、罪悪感を覚える作用しかない気がします。

「知ろうとしない罪」、ジャーナリスト的な仕事をやっていそういう強迫観念にとらわれて長い間苦しみましたが、

とりあえず私は精神疾患を経験した人間として、

生活を立て直し、幸せに暮らすことを頑張る。

自分はそれが自分の役割だと思っています。

こういうブログをやってるのも多分その役割を果たすためだと思います。

 

知ろうとしないのはたしかに罪かもしれませんが、

自分の心を置き去りにしてでも知る、知りすぎるのは、毒ではないでしょうか。

 

他の世の中の大変なことはすみませんが、

それをできる余力のある人に感謝して御願いする。

「なぜ知ろうとしないんだ」みたいな脅しみたいなことばが

たまにSNSでちら見えすることがあるんですが、

この世の苦しみを全部知ったら死にますよ。

皆限界のある人間だと自分を受け入れて許していけば、

自分ができることに注力できるし、そこで得た知見から

他人への想像力を持てば、知識として「知らない」という状態を

超えていけるんじゃないかなと私は思います。 

 

なので自分の超能力の使い方をすごく意識するようになりました。

 

何言ってるかわからないようなことを、思いつきで5分ぐらいで書いてしまったので、

意味が分からなかったらすみません。