自分の地図をつくろう

新しい場所に出かけて楽しい経験をしよう

「親しいからこそ愚痴を言い合える」って怖い発想だと思う。

友達を辞める前にメッセンジャーをやめた

私の友達で、ものすごくいろんな本を読んでる人がいるのですが、その人のかつての癖は「自分がちゃんとした物書きだと認めていない人の文章」を、写メに撮って私に送ってきてひとくさり文句をいう、ということでした。

特に苦しかったのはとある作家さんが連載していたごはんの写真があまりに汚いということで、それを送ってくるのでした。

友達が不愉快に感じるような内容のものですから、それを見せられる私もいい気持ちは全然しません。

それで、「送って来ないで欲しい」といったのですが、やめてくれないので、メッセンジャーから退会しました。友達そのものをやめたくなる前に、メッセンジャーをやめようと思ったからです。

 

多分友達の言い分はこうです。

「これで物書きとして食えてるなんて、ありえない。こんなに質の悪いものが流通しているなんて許せない。そういう気持ちを共有して分かち合いたい。それには人を選ぶ。あんまり親しくない人だったらひがんでいると思われるだろうし、オカなら仲良しだし、わかってもらえるだろう」

ということだと思います。

 

親しい友達に腐った食べ物を食べさせますか?

これと似たような現象に「親しい友人だから愚痴や泣き言や人の悪口を言い合える。腹を割ってホンネを話せる」というものがあると思います。

でも、本当にそうでしょうか?

 

愚痴とか人の悪口って、腐った食べ物みたいなものだと思います。

大事な友だちで、とても親しい友だちに、色いろある食べ物の中から、わざわざ腐った食べ物だけを選んで食べて! 一緒に食べようよ! って言ってるのと同じだと思いませんか。

大事な友だちなら、他のどうでもいい知人よりも、美味しいものをたべてもらいたい。キレイなものを見てもらいたい。それが普通だと思うのに、なぜ、心のなかのことになると、汚いどろどろしたものを分ち合ってこそ親友だ、という気持ちになってしまうのでしょうか。

 

生きていればたまに、ひとりではどうにも整理のしきれない出来事がおこります。そんな時は友達に話すのもありでしょう。でも、いつも悪口、不満、愚痴、そういうものをゴミ箱に投げ捨てるように友達に言い続ける、というのは、あまりいいことではないような気がしました。

 

おそらく、はじめの段階で、私も友達のそういう部分を面白がってしまったことがいけなかったんだな、と自分が招いたことでもあるんだなと思いいたり、反省しています。