自分の地図をつくろう

新しい場所に出かけて楽しい経験をしよう

100年前の先祖の名前をいえますか?

中国でタクシーの運ちゃんが言ったこと

先月、中国の吉林省の図們っていうところで、タクシーに乗ってたんですが、

その運転手さんがこんなことを言うんですよ。

「日本から来たのか? お前ら日本人は、だいたいこの辺りから日本に流れていってるから、もともと中国人なんだよ」

って。

で、私もそう思いました。

なんでかって言うと親戚みたいな顔してる人がたくさんいるんだよね。

図們は、北朝鮮とロシアの国境に近い町なんですが、寂れていたけれど、いいところでした。

 

それで、考えたんだけど、

私、何世代前までなら、先祖の名前を言えるかなって。

父母は余裕で言えます。

父方、母方それぞれのおじいさん、おばあさんの名前も言える。

ひいおじいさんひいおばあさんとなると合計8人になるけど、、、ひとりしか言えない。

ひいおじいさん、おばあさんは、一世代30年だと計算すると(30歳で子供=子孫を生むといういペースで計算すると)、だいたい100年前ぐらいに生まれてる人ですよね。

100年って結構最近じゃないですか。

特に私、仏教の本とか好きで最近はよくよんでるんですけど、釈迦が生まれたのがたった2500年前っていうのがびっくりするぐらい最近だなと。

物部守屋が仏教普及を反対して、聖徳太子が逆に仏教賛成派で四天王寺建てたりとかしてた頃から、1500年ぐらいしか経ってないわけですよ。

そう考えると100年前なんてすごく最近なのに、

8人いるはずのひいおじいさんとおばあさんの名前を私はほとんど知らない。

この事実でわかることってなんだろうって考えました。

 

私という存在は「ゼロの誤差」でしかない

それは、おそらく100年後、私を覚えている人は誰もいないってことです。

 

特に私は子どももおりませんから、忘れられる可能性が子どもがいるひとよりも、超段違いに高いです。

 

たった100年後、なかったことになるのが私です。

 

まあ、地球が生まれて56億年でしたっけ。そのうちの人生が80年ってあまりに短くてほとんど「ゼロ」の誤差の範囲でしか人って生きてないですよね。

 

ではこの「ゼロの誤差」の人生をどう捉えるか。

どうせなかったことになる人生なら(   )生きたい。

この(   )カッコを埋めてみよう。

 

私の場合は

どうせなかったことになる人生なら(苦しまずに)生きたい

どうせなかったことになる人生なら(やりたいことをやって)生きたい

どうせなかったことになる人生なら(人目を気にせず)生きたい

 

こんなところかな。

だって、なかったことになる人生なのに、

昨日、今日、明日、ぐらいの目線で

「あの人にどう思われるかな」とか考えてるのって苦しくないですか?

そういう「あの人」も、100年後にはチリのようになくなっているわけですよ。ほとんど誰からも思い出してもらえない存在になってるの。

てことはいま眼の前にいる、私が気にしてしまっている「あの人」って、存在しないも同然なのに。とらわれずに生きたいですね。