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親に手紙を書いてみよう

感謝すると人生が変わる、らしい。

 

 すごくいい本でした。

まず、良い手紙は

・本音であること

・具体的であること

そして、

・楽しんで書くこと

これが徹底されていたら、読む相手に響くものになる。

これはほんとにそうだと思います。

デートとか、合コンとか、見合いとかなんでもいいんですが、やっぱりマニュアルってあんまり意味が無いなって思うのは、「楽しめ」って書いてないからなんですよね。

今、すごく楽しい! っていうのって伝わりますよね。逆にマニュアルだけ完璧でも「こなしてる」感も伝わる。

だから、本音で楽しんで書けば、絶対相手の心に届くものになりますよ、ということを前提にして、色んな種類の手紙の書き方を水野さんは紹介しています。

 

それで、実際にやってみようと思ったのは最後から二つ目の章の「感謝の手紙」です。

特に親に書くといいですよ、と水野さんは言っています。ちょっと引用します。

 感謝の手紙を書くことには、それ以上の深い意味があるのです。

 2002年の2月、私は学生時代から所属していたプロダクションを辞めることになったのですが、それは、仕事で立て続けに問題を起こしてプロダクションに大きな迷惑をかけてしまったことが原因でした。そのあと、自分なりに、どうしてこのような状況になってしまったのかを考えたのですが、その理由は「物事を自分中心に考えすぎていて、周囲のスタッフやお客さんのことが考えられていなかった」ということに思い至りました。

 ただ、通常であれば、そのことに気づいたからといってすぐに行動を起こせなかったかもしれません。しかし当時、大学の同期はみな企業に就職している中、自分だけが定職もなく、今後どうやって生計を立てていくのか、そもそも自分は仕事で結果を出せるようになれるのか、強い不安を抱いていました。そこで「とにかく今の自分を変えられることは何でもやってみよう」と決意し、自分本位な性格を克服するために、「人の役に立つこと」を思いつくままに実行することにしたのです。私自身、ボランティアというのはずっと偽善的な行為だと感じて嫌だったのですが、このとき初めて経験してみました。また、友人に会うたびに「何か困っていることはないか」とたずね、「いや、困っているのはお前の人生の方だろう」と笑われたりもしました。しかし、とにかく思いつくかぎりの「誰かのためになること」を実行していったのです。

そして、その行動の一つに

「両親に感謝の手紙を書く」

ということがありました。昔読んだ本に、そのことの重要性が書かれていたのを覚えていたのですが、そんなことをするのは恥ずかしいし、気味悪がられるだけだと思っていました。また、私は両親と仲が良かったわけではないので、そんな手紙を書く自分はまったく想像できませんでした。しかし、このときは、なりふりかまっていられない状況だったので、思い切って手紙を書いてみることにしたのです。

 その結果、信じられないほどの変化を経験することになりました。

 経営者の人がよく「仕事ができるようになるために、まず親孝行をしなさい」といいますが、そして、そのコトバは何度も耳にしたことがあったのですが、この時、初めてこの言葉の意味を理解することができました。

 そもそも人は、誰かを喜ばせたいという愛情を心のなかに持っています。しかし、その気持は「恥ずかしい」とか「他人に優越したい」とか、「怒り」などの感情によって阻害されてしまっており、その原因の多くが両親との関係にあるのです。

 しかし思い切ってその殻を破ることで、自分の奥底にある自然な欲求ーー「人を喜ばせたい」「人を愛し、愛されたい」という欲求ーーを素直に表現できるようになります。本来それは、人にとって「気持ちの良いこと」なのです。そして、感謝の手紙を書くことを通してそのことに気づけた私は、これまで以上にどんな仕事も楽しめるようになり、人を喜ばせるためにアイデアもどんどん生まれてくるようになりました。また、それ以降の人生で、人間関係で深く悩むということは殆どなくなったのです。

 

 

ここまで言われたら書くしかない。

そう思って私も書いてみました。2日ほど悩んで書いたのがこれです。

 お母さんへ手紙を書いてみた。

お母さんへ

 

 お母さんが亡くなったのが2005年の9月6日ですから、今年でもう12年が経とうとしています。干支が一周したのですね。お母さんは今も61歳のままですが、当時28歳だった私は今年で40歳になります。

 お母さんが生きているときは、しょっちゅう会社宛てにはがきを送ってくれましたね。でも私はお返事をしたことが一度もありませんでした。実はこの4月で、17年間勤務した会社を退職し、ずっとデスクの引き出しにしまっていたままのお母さんからのはがきの束を、数日前に改めて読み返したのです。それで今日、突然手紙を書こうと思ったのは、お母さんからもらったはがきのお返事を今書いてみようと思ったからです。

 私がお母さんに一番感謝したいと思うことは、本を読む習慣をつけてもらったことだと思います。3歳頃にはひらがながスラスラ読める子どもだった私に、お母さんはお金を惜しまず本を買ってくれました。私が中学に入ってからは、お父さんが失踪するような形でいなくなってしまい、お母さんは働きに出て、そこからの暮らしは、なかなか楽ではなかったと思います。実際お料理が得意なお母さんだったのに、夜ご飯のおかずが1品減り、2品減り、最後はビーフンを炒めただけのものが、大鉢にのってどん、とテーブルに置いてあったのを見たとき、「うちは本当に貧乏になったんだな」と実感しました。でも、今にして思えば、お母さんにとって、子どもに満足に食事をさせられないことは、子どもの私以上に辛いことだったのではないでしょうか。

 そんな生活の中でも、本を買いたいと言うとダメと言われたことはありませんでした。

 お母さんの勤め先は神田小川町でしたから、会社に遊びに行っては本代をもらって、近くの三省堂で本を買って電車の中で読みながら帰るのがすごく楽しみでした。

 高校一年になって幻聴幻覚に悩まされるようになり、思春期の統合失調症というものにかかって日大板橋病院の精神科に通院することになってしまいました。その頃読んでいる本は自殺に関する本とか、犯罪とか毒殺についての本とか、それからアウトサイダーアートについての本とかで、そういう本が棚に並んでいるのを見てお母さんはすごく心配したんだろうと思います。「読む本を変えてほしい」と言われたのを覚えています。でも、当時はそういう、ある意味極端な内容の本を読むことが、気持ちの辛さを紛らわす「ガス抜き」のような作用を持っていたと思います。現実逃避と言うとちょっと聞こえが悪いかもしれませんが、でも、本を読んでいる間だけは、気持ちを落ち着けることができました。本を読む習慣がなければ、私は一体どうなっていたんだろう、と思います。最近も、病気をしましたが、やはり本に助けられました。本がなければ自分の状態を知り、対処を始めるのにもっと長い時間を必要としたかもしれません。

 

 当時は、私だけが辛いと思っていたし、親の都合で子供ばかりがつらい目に遭うと思っていたのですが、今考えるとお母さんも相当大変だったのではないかと思います。

 戦争中に生まれて、一歳で引き上げを経験し、そこから私生児だったおばあさんの実家に身を寄せることになり、子どもの時の記憶は蔵に閉じ込められていたことだ、とお母さんは話していましたね。戦後生まれた弟たちとは5歳以上離れていて、ずっとお母さんは一家のなかでの旗振り役を務めていたんだと思います。

 結婚して夫になった私のお父さんは、お母さんの6歳年下で、やはり、家の中でのリーダー役だったんだろうと思います。

 そういうどっしり構えた大黒柱的なお母さんに甘えるばかりで、私は何かをしてあげたいと思うことすらありませんでした。

 そして、私は末っ子気質の甘えん坊なところがありますから、最近まで、お母さんはすごく強いと信じていたし、お母さんの気持ちをあまり理解することができませんでした。

 私達二人の娘のための学費を作ることも、日々の生活を営むことも、全部自分ひとりの肩にのしかかっていたとき、お母さんはきっと誰にも相談できずに、ひとりで悩み、ひとりで決断をすることの連続だったのだろうと思います。

 お父さんが出て行った後、大学に入って就職するあたりまでが、私の人生にとってもっとも波乱の多い日々でしたが、子どもを社会に送るまでのお母さんはなおさらストレスの多い日々だったのではないかなと思います。

 お父さんが失踪して少しした時、お母さんが誰かお友達に電話をかけていて、泣いていたのを覚えています。「私も誰かに頼りたい、頼れる男性が欲しい」みたいなことを言っていました。それを聞いたとき、「気持ち悪いな」と思い、「キモいんだよクソばああ」みたいなことを怒鳴って受話器を奪って切った事がありました。お母さんの女性的な面を垣間見て心が揺れてしまったからそういう行動に出たのですが、今、40歳になろうとしている私には、当時まだ40代だったお母さんにとって、頼りになる男性が欲しいと思うのは別におかしなことではなかったんだなと感じます。いつまでも強くて優しい私だけのお母さんでいてほしい、という気持ちが強すぎて、お母さんの不安を知ろうともしなかった自分はなんて浅はかだったんだろうと思います。

 お母さんが乳がんで手術をした時、「映里は怖がりだからね、傷は見なくていいからね」と言ってくれたのを覚えています。病気でも、男性との交際でも、なんでも、変わってしまうお母さんが怖い、受け入れられない、ということを、私以上にお母さんのほうがわかってくれていたんだと思います。

 今思うのは、もっと生きていて欲しかったです。

 生きていたら、もしかしたら、お母さんの気持ちをもう少し理解することができたかもしれないし、理解できたら、なにか行動を起こすことができたのに。と思うからです。

 でも、亡くなった後でも、お母さんが授けてくれた読書の経験が生きていることを感謝できるのが、本当にありがたいなと思うのです。

 自分ひとりで生きる何倍もの人生を、本を通じて知ることができるし、新たな知識や考え方は、40歳になって経験知が増えて考え方が固定してしまう年齢に差し掛かってきた今だからこそ必要なことだと感じます。

 今、私は、会社をやめてやりたいことだけやって生きていこうと思っていて、毎日がチャレンジだなと思っています。本を読んだり、自分の考えを整理して書くことが習慣になっていなければ、こういう決断はきっとできなかったと思うのです。

 お金とか土地とか家とかを残してくれるよりも、読書の習慣をつけてくれた事が本当にありがたいなと思います。

 できたらそれも、直接感謝したかったです。

 また、折にふれてお手紙したいと思います。

 

 

書いてみて思ったんですが、私はまだお母さんに感謝できてなかったんだということです。感謝したいことが思いつかない。

いや、たくさんあるはずなんです。この世に生んでくれたこともそうだし。そもそもそこは感謝以外の何物でもないし。

でもなかなか思いつかなかったんですよね。

つまり、これでわかったのは

「今まではお母さんにされたことを消化しようとしてただけで、感謝しようと思ったことがなかった」

ってことでした。これは自分には軽い衝撃でした。

水野さんは「手紙の良さは、出す前にいくらでも直すことができる」ということだと書いています。

私も、納得の行く感謝の手紙を書けるようになるまで、ちょっと何度か、書いてみようかなと思いました。