自分の地図をつくろう

新しい場所に出かけて楽しい経験をしよう

治癒することと復興すること

病気や災害をどうとらえるか

 

精神科医院に通っていた時に、よくお医者さんに言われたのは

「必ず昔の元気な岡さんに戻りますからね」

っていうことでした。

励ましてくれているつもりだったんだと思います。

 

でも、私はおそらく病気の症状が出始めたのが、十代頃だったと思うので、ずーっと不安定なままで生きてきたので「元の元気な自分」がどんな自分なのか、全然記憶に無いんですよ。

一方でそのお医者さんが私に言い渡していたのは「薬を半永久的に飲み続けないといけない、なぜなら、双極性障害は再発リスクが高いうえに、躁状態の時に病識(自分が病気だという自覚)がない場合があるので、それを抑えるため」……という説明でした。

 

ということは、「薬」を飲んでいない頃の「元の自分」には戻れないってことじゃん? 

って思って、なんか、モヤモヤした記憶があります。

 

でまあ、いろいろあって認知行動療法を自力で学んで薬をのむのをやめました。

その際はお医者さんに相談してやめました。

やめてもう丸2年が経過します。

そして、認知行動療法の学会に入りたいので、入会資格である関連資格を取りたいということと、精神疾患(特に気分障害)そのものをお医者さんに治してもらうのではなく自力で向き合っていく方法を模索したい、その上で福祉のサポートは絶対に必要だから知識をつけたいということで、専門学校に入りました。

いま、精神保健福祉士の養成校にかよって2ヶ月になります。

 

昨日、精神保健福祉の理論と相談援助の展開という科目の授業で、面白い話をしていました。

それは「リハビリテーション」と「リカバリー」の違いについてです。

リハビリテーションはもともと、ジャンヌ・ダルクの時代に遡るのですが、名誉回復の意味で使われています。何らかの理由で社会的立場が奪われた人たちが、その立場を回復する、回復した状態を「リハビリテーション」と呼んでいました。それが、時代がくだるにつれ、刑事罰を受けたひとが社会に復帰するときのことをリハビリテーションと呼ぶようになり、現在では、障害を持つひとが日常生活にもう一度適応するための様々な訓練のことを「リハビリテーション」と呼ぶようになっています。

つまり、語源からして、リハビリテーションというのは、「善とされる基準に合わない人たちが、できるだけ基準に近くなれるようにがんばる」という感じのものなのです。

 

でもこれって本当にそうなの? 幸せなの? っていうのが昨日の授業の主題でした。

その中で紹介されたのが、上田敏さんというリハビリテーション学の偉い先生の本『リハビリテーションの思想ーー人間復権の医療を求めて』(2004)でした。

序章で「リハビリテーションとは、『人間らしく生きる権利の回復』すなわち『全人間的復権』であり、過去の生活への復帰であるよりもむしろ『新しい人生の想像』なのだ」と述べられています。

これはリカバリーの理念に通じるもの……と先生が説明してくれました。

リカバリーとさっき出てきたリハビリテーションってどう違うの? 全然わからなかったのでネットで調べてみました。

それによるとリカバリーとは、

「リカバリー」とは、病気や障害による様々な規制を自ら乗り越えて、自分の人生を充実、希望に満ちた生活をすることであります。また、病気や障害によって失われた家族や友人等を含めた人間関係を取り戻し、生活する地域の中で社会関係を再構築していくことです。

福祉用語の基礎知識

 

「乗り越えていく」ための考え方

これを読んだ時私はハッとしました。

それは自分の病気についての捉え方だけではなく、発災後ずっとやってきた東日本大震災の取材を通じて考えていたことに答えが与えられている感じがしたからです。

 

あの時、震災復興についての定義を誰もしないまま「がんばろう」「復興」「取り戻す」という曖昧な用語をそれぞれに解釈して向かっていったことを私は思い出しました。

でも、それは「現況復帰」「元に戻す」つまり「リハビリテーション」の意味で「復興」という言葉を使っていたのではないかな、と思うのです。

だから、震災においては元にはもう戻らない、という合意は今もできていないのではないかしら、と。

でも、冷静に考えてみるまでもなく、もう元には戻るわけがないんですよね。でもそれを表立っては誰も言えない。

明白なことだが、障害や災害を被害や欠損と捉えるならそれを元に戻したい気持ちになるだろう。

 

でも、震災や障害を、人生の時間の流れの中で起こるひとつの変化として捉えたら、別のことができたと思う。そうしたら、戻らなくても幸せになることはできるし、その方法を考えることができる。乗り越えることができる。

 

例えば、津波を被害と捉えると、あのような防潮堤ができます。

確かに津波からの被害はかなり軽減できるでしょう。その代わり、この先少なくとも百年にわたって「海が見える景色」が失われます。

もちろん多くの人達の生命が失われ、その生命への想像力をなくせと言っているわけではないのです。

ただ、震災の傷からリカバリーをする、って高い防潮堤を作ることなのかな? 本当にそうなのかな、って思うんです。

 

 私自身、病気になってみて、時間は過ぎていっているというその一点だけでももう元には戻れないのです。そこをはっきり自覚することがもっと早い段階で出来ていたら、「病気を持っている私」というキャラクターでどうやって世の中渡っていくか、ということをもっと早い段階で考える事ができたかもしれないなと思いました。

 

つらい経験を乗り越えて、そしてそれでも手元に残った持ち物ものを使う。持っているものをみんなが使いやすくする、そういうことってもっとできないのかなって思いました。