自分を好きになろう

人生で味わったうれしさも悔しさもフル活用して、新しいことにチャレンジしよう

全文公開『自分を好きになろう』第一章『ゴミ屋敷を片付ける』前編

 6月15日に発売になる新著『自分を好きになろう』の第一章を三回に分けて発売に先駆けてブログで全文公開します。

自分が大嫌いだった

 

2015年の9月。

 

私は38歳でした。

そして、好きな人に振られたばかりでした。

 

38歳という私の当時の年齢は決して若くはありません。だから、もう、真剣な恋愛はできないだろうと自分では思っていました。

 

この頃の私は、仕事もぱっとせず、病気がちだし、いつも他人の成功を羨んでいました。同年代で活躍している作家さんの書いたものは嫉妬に狂いそうになるので読めませんでした。それでいて、「今さらイチから努力するのもめんどくさい」と、書くための時間をとることもしませんでした。自分には何もないと思っていたので、いつも自分の心がスカスカな感じがしていました。

努力は嫌だけど、寂しい気持ちを埋めたい私は、自分をちやほやしてくれる男性からの「賞賛」を利用しました。

不毛な「モテ」のためだけに男性とやりとりしたり会ったりしていました。

でも、そういうふうに「モテ」たあと、必ずむなしい気持ちになりました。

別に好きでもない男性にチヤホヤされても嬉しくないと、どこかで自分でわかっていたからだと思います。自分のつらさやさびしさを埋めてもらうために男性と会うのは、二人羽織で食事をするのとおなじようなもどかしさを感じました。心の傷やむなしさを的確に理解し、手をさしのべてくれる「孫の手」のような男性はいないのだろうか……。そんな都合のよいことを考えていました。

 

そんな私に、ものすごく好きになれる人が現れたのです。

でも、私は、その彼が、いつか絶対自分を裏切って去っていくだろうということを、根拠もなく信じていました。

それはたぶん、心の芯の部分で、自分が自分を大嫌いで、自分を信じていなかったからだと思います。

こんなにダメで、特に作家としての実績もなく、メンタルの病気もちで、38歳で、バツイチで、中年太りしはじめていて、しかもいつもネガティブで、家事が全然できなくて(以下100個ほど理由が続く)……、そんな私に、こんな素敵な人がそばに居てくれるわけがないと思っていました。

 

だから、あらかじめ傷つかないように、彼にまじめに向き合うことをしませんでした。

夏の終わりのある日、私からしたら些細なことがきっかけで、彼は激高し、会うのはそれっきりになってしまいました。

ある意味、自分が信じた通りの結果になったわけです。

 

そして私は本当にひとりになりました。

 

もう「ちやほや」されたいとも思わなくなりました。それよりも、本当に好きな人のことすら大事にできなかった私って、一体なんなんだろう? と、ひとりの部屋でじっと考えていました。このまま行くと、これからまた好きな人ができたとしても、おなじことを繰り返すような気がする。なぜこうなってしまうのだろうか。私が病気だからなのだろうか? いや、そうじゃない気がする。これは、病気という意味ではなく自分がどこか「おかしい」んだろう、そう思いました。

 

でも、どこが「おかしい」のかわからないし、どう変えたらいいのかわからない。でも、このままは嫌だ、どう変わったらいいのかわからないけど、変わりたい……。

 

家に帰ったら、ベッドへ直行

 

彼が去ってからの私は、仕事を終えると、スーパーに寄って惣菜弁当と缶酎ハイを買い、家にまっすぐ帰りました。夜の街のバーに入って、ちょっといいなと思う男の人に媚を売ったりとか、そういうことに全く興味がなくなりました。ひとりで部屋に戻り、着ていた服を脱ぎ捨てソファーに積み上がった服の山の上に放り投げるとすぐに、ベッドに潜り込みました。

 

スーパーの惣菜弁当は、ベッドの中で寝ながら口に放り込み、缶酎ハイで胃袋に流し込みました。食べ終わったら、スーパーの袋に入れてベッドサイドに積み上がったゴミの山に捨てました。

 

ベッドの中で、私は、「この先、きっといいことなんか何もないだろうな。確かに病気はよくなっているんだろうけれど、そのおかげで仕事もできるようになったけれど、心が死んだみたいなこの気持ちはなんとかならないのかな」と、悶々と考えていました。

以前、双極性障害の治療のために1年4ヶ月ほど療養していた時もそうだったのですが、何もしていないと、時間が経つのがものすごく早いのです。昼前に起きて、散歩に行き、ベンチに座って太陽を浴びて、食事を作って食べて、ネットをして寝る……という毎日を繰り返していると、記憶に残るような刺激がないので、毎日が全くおなじように過ぎるためだと思います。1年4ヶ月が3ヶ月ぐらいに感じました。

 

そして、今回も、ベッドの中で惣菜弁当と缶酎ハイをお供にしながらネットをしていたら、いつのまにか2ヶ月経っていました。状況はどんどん悪くなっていくような気がしました。

 

彼に会いたくてたまらなかったけれど、会ってもどうにもならないような気がしました。どんな手を使ってでも無理やり連絡して会って、謝って、すがったら、優しい彼は何度かは、付き合ってくれるかもしれません。

でも、彼に連絡することはもうできませんでした。

 

自分の心のスカスカ感、つまり不充足感を、彼という存在を利用して埋めようとしたら、それはこれまでの「モテ」のためにしてきた不毛な行為にとても似ているような気がして、やっと好きになれる人に出会えたと思ったその彼には、そういうことをしたくないと思いました。

 

孤独だけれど、どうしたらいいのか全然わかりませんでした。布団の中で、弁当を食べながら、スマホでSNSをしたりネットを眺めて、眠くなるまでの時間を過ごしました。

 

いつのまにか、ゴミ屋敷に

 

そんなある日、電話が鳴りました。「親方」からでした。

「久しぶりだな。元気か?」

親方とは、2011年の東日本大震災の取材で出会いました。

福島第一原発に作業員を送る会社を経営していた親方は、私のひとつ年上です。150人もの従業員を抱えて災害を乗り切ってみせた親方のその生きざまを、私は前著『境界の町で』(リトルモア)で書きました。すごく頼りがいのある人で、取材で知り合った私のことも、常々気にかけてくれていました。

 

受話器から鳴り響く親方の声は、ハリがあって早口で、生命力にみなぎっていました。正直なところを打ち明けるのも気が引けたので、なんとなく「あ、ご無沙汰しています。元気ですよ」と返事しました。

すると親方はこう言うのです。

 

「元気? おめえ、全然元気じゃねえだろ。まだ、アタマの薬飲んでんのか? おめえよぉ、Twitterにあんなポエムみたいなこと書いてよぉ。もうすぐ40になる大人がすることじゃねーぞ。おめー、マジで大丈夫か!」

 

確かに私はTwitterに「毎日がつらい」「孤独をかみしめている」「これから先、私はどうしたらいいのだろう」みたいな、心の迷いを連日投稿していました。

 

「あ。親方、私のTwitter見てたんですね。いや、ほら、ああいう愚痴って、聞くほうも疲れるでしょ。私、人が私の愚痴を聞いてうんざりしている顔を想像するのも怖いんですよ。だから、Twitterに書いてるんですよ。Twitterなら、誰にも迷惑かけないし」

「おめーは、またうつなのか」

「いやぁ、うつっていうか。それは治ったんですよ、もう。仕事にも復帰しましたし」

「治ってねえんじゃねえの。全然楽しくなさそうじゃん」

「そうですかね」

「そうだよ。そうだ。おめえんち、今、ゴミ屋敷だろ? 今、せんべい布団の周りがコンビニ弁当のカラで山になってるだろ」

 

図星でした。

「いや、私の家、ベッドなんで、布団じゃないです」

「そこじゃねえよ、ゴミだらけだろって言ってんの」

「ああ、まあそうですね。恥ずかしいですけど」

 

「オレよお、原発の仕事のあと、地震でもう使い物にならねえ家の解体の仕事やってるんだよ。狭い町だから、地震が来る前にどこの家にひきこもりがいたとか、どこの家にうつ病のやつがいたとか、町のやつらはみんな知ってるんだけど、そういう、メンタル病んでるやつの家壊しに行くと、決まってみんな、家の中がゴミ屋敷なんだよ。コンビニ弁当のカラが積んであって、雑誌が腐って床が抜けてるんだ。ペットボトルはハンパに飲み物が残ってて、全部腐って緑色でよお。おめえんちもそうじゃねえのか」

「うーん、まあ、腐ったペットボトルはないけど、近いですね」

「それ、片付けろよ」

「そうですよね。片付けたいんですけどなかなかモチベーションが……」

「ひとりでできねえなら、若えのそっちにやろうか? トラック持ってくから、ゴミ積んでってやるよ」

 

さすがに、今の部屋に人を入れることはとてもじゃないけどできないと思いました。うちにはねこが3匹いるのですが、ねこのトイレの周りの床には糞がこびりついていて、掃除をしないまま2ヶ月も経過していたため、においもありました。

人が見たら確実に「ドン引き」する部屋であることは間違いないのです。

 

「いや、それは大丈夫です。ていうか、誰か部屋に入れるために、ざっと掃除しないといけない感じなので。なんだろ、たとえて言えば服買いたいけど服屋に着ていく服がないみたいな状態っていうか……」

 

「それ、もう末期だな。ていうかよお、おめえ、病気のやつがやりがちなこと全部やってるだろ。Twitterには愚痴ばっかり書いてる、暗いことばっかり考えてる、ひとりでネットばっかしてるだろ。それと、部屋がゴミ屋敷。な? 化粧とかもしてねえだろ。風呂入ってるか?」

「……」

 

「そういうの、1個でいいからやめてみろよ。病気じゃないやつの真似してみろ。そうだな、オレの真似だな! オレの家はいつ来てもキレイにしてるだろ」

「確かに、ものすごく片付いてますよね」

「だから、片付けろ。じゃあな」

親方はほとんど一方的に話をして電話も唐突に切れました。

 

片付けなんて、意味なくない?

 

片付け、かぁ。

めんどくさいなあ。

 

もう、この家にあの人が来ることもないだろうし。

見せる人がいない部屋をキレイにする意味、なくないか?

 

「片付けろ」と強い口調で私に命じた親方に、言えなかった「ホンネ」が頭の中をぐるぐる駆け巡りました。

それでも、ちょっとだけ引っかかったのが「おめえ、病気の人がやりそうなことを全部やってるだろう」という親方の言葉でした。

(続く・第一章中編は来週月曜日に公開します)

 

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