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『境界の町で』プロローグ後半全文公開

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2014年4月に出版した『境界の町で』のプロローグ部分を2回に分けて公開します。

前半部分はこちらから読めます

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プロローグ「漂う」続き

 渋滞の晴海通りから、男のバーのある銀座のクラブ街の中心部に入ると、まるで掃き清めたかのように人が消えていた。

 昼から電話もまともにつながらず、交通手段も奪われている東京では、ホステスたちが出勤することは至難の業だった。

 客もそれを知っているのだろうし、こんなときに会いたいのは適当な付き合いのホステスではなく、大事な家族や恋人だろうから、ここには人が集まらないのだろうと思った。

 男の店のあるビルに入る。築年は確実に経っている古ぼけたこのビルのエレベーターは地震で壊れて使えず、階段で店のあるフロアまで上がった。

 他の店には人の気配はなかったが、一枚板の扉の中央に据え付けられた男の店のエンブレムは、6年前と同じようにスポットライトで照らされていた。

 ノブに手をかけると、扉は静かに開いた。

 男はカウンターにいた。「久しぶりじゃん」と男は言った。店の中は微かに葉巻と、ペンハリガンの香水のシナモンのような匂いがした。

 男はこんな日にも店を開けていた。

 店には客はいなかった。私は、いつも座っていた一番奥の席についた。男は年を取ったようにも見えたし、変わっていないようにも見えた。相変わらず痩せていて、6年前もそうだったように、ベストを着込み蝶ネクタイをきっちり結んでいた。結婚はしたのだろうか、それもわからなかった。

 男の背後にある洋酒のコレクション。7畳間でも常に海外のオークションサイトを巡回して洋酒のことばかり考えていた男の酒は何一つ割れていなかった。毎日磨かれている瓶は静かに光っていて、すべて無事だった。

 

 週に一度の休みを除いて1日時間は店にいる男は、金魚鉢の中の金魚のように外の世界を知らない。

 だから、付き合っていたときにそうしたように、私はiPhone4で撮影した街の写真を男に見せた。

「これは、東京タワーのアンテナが曲がってる写真」

「市ヶ谷のファミリーマートの棚は全部空だったよ」

「晴海通りが車で渋滞してるところ」

 私は写メを次々と男に見せた。男はかつてのように「すげえな」「へぇ、おもしれえ」と言った。

 男の態度は6年前と変わらなかった。淡々と酒を注ぎ、冗談を言って私を笑わせた。

 

 飲んでいると扉を開けて女が入ってきた。この店では著名人Kの愛人として周囲が遇している女だった。年齢は45歳を越えているだろうか。

 いつも一緒に現れるKの姿は見えなかった。

「ここに来たら会えるかなと思って。どうせタクシーも捕まらないし、電話もつながらないし、帰れないから。飲みながらKを待つつもり」

 と彼女は言った。

 彼女に付き合って2、3杯を飲んだが、Kはついに現れなかった。

 

 彼女の相手に疲れてきた私は、帰り際、男に聞いた。

「どうするの、また昼間みたいな揺れが来たら。このビル崩れるんじゃない。だって、ぼろいじゃないすべて」

 私がそう言うと、男は、

「それで構わない。どうせ俺は独りだし、このビルと一緒に死ぬから」

 と言った。

「もしかしたらこの地震が起きたのは、俺のせいかもしれないし。いつかそうなると思っているから」

 男は誰も探していなかった。もちろん私のことも。

 私は男に会ったが、男は私に会ったのではない。

 私は店に来た客でしかないのだろうと思った。

 そして私も男に会いたかったのではないのかもしれない。店に行けば男は私を拒否することができない。私は絶対に拒絶されない相手を無意識に探していただけで、少なくともそれは「絆」と呼べるものではないだろう。

 

 店を出た私はiPhone4を取り出して時間を確認した。時刻は午前2時を過ぎていた。

 明るくなってから、東北では被害状況が正確に確認されるだろうし、遺体の捜索が始まるだろう。

 Twitterを開くと、いろいろなニュースが断片的に飛び交っていた。

 原発に異常が発生していると知った。

 日本政府が米国に救助要請を出していることも知った。

 何かとてつもないことが起こっているのかもしれない、という肌触りを、iPhone4の画面を見たときに感じた。

「早く明るくなってほしい。でも、明るくなるのも恐ろしい」

 と私はTwitterにつぶやいた。私にはそんな感想を話せる相手がいなかった。

 

 

 ところでその日、店で愛人の彼女が待ちわびていたKが、どこで何をしていたのかがわかったのは、ひょんなことからだった。

 震災から2年半後の夏のことだ。

 2013年9月8日。日曜日の新大久保。

 私は知り合いの編集者のHさんと酒を飲んでいた。

「東京にオリンピックが来るね」

 羊の肉を焼きながら、私は彼女に話しかけた。レイシストたちのデモ隊の「朝鮮人は日本から出ていけ」という叫び声がドア越しに聞こえてくる。

「オリンピックとか、興味あるんですね」

 Hさんは肉が刺さった串をくるくるとまわして火を均等に入れながらそう言った。

 2020年の夏には、ザハ・ハディドの設計に建て替わった、白い巨大な女性器のようなメインスタジアムの庇の下か、その周縁に私はいるはずだ。

「まあね。興味あるっていうか。結局なんだかんだ言って浮かれちゃうんだろうね。だって目の前でオリンピックやってたら観に行っちゃうじゃない」

「はは、まあそうですよね」

 福島の本を書くと約束してもう2年が経過していた。

 その間に最初の担当編集者は私を見切ったが、それでも書けなかった。

 しかし常に、書かなければと苦しんでいた。

 

 私一人が見てきたものには違いないが、私一人で背負い込むことはできなかった。

 どう書いたらいいのか、全然わからなかった。毎日、書けない、なぜ書けないのだろう、と自分を責めていた。

「福島ですか……、もう私のまわりではほとんど福島のこと話す人がいなくなっちゃいました」

 とHさんは言った。

「震災の話自体が、2年半経つと出ないよね」

「そうですね。あの日は、2分以上揺れましたね」

 直後に九段下にある九段会館の講堂の天井が落ち、2名が亡くなった。

 その後、30分から40分を置いて、東北に津波が来たのだった。

「3月11日って、何してた?」

 私は彼女に聞いた。

 彼女は、新宿にあるとあるバーの名前をあげた。

「とりあえず財布と携帯だけ持って、会社の近くのバーに飲みに行こうと思ってそこへ行きました」

「店開いてたんだ。あのママ、気合の入った女だね

「そうですね、夕方に店の前で待ってたら自転車でツーっと来て、開けてくれました」

「お客さん、来た?

「数人。Kさんも来てましたよ。Kさん、ママに惚れまくってたから。やっぱりなと」

 

 あの日、私は銀座でKを待ちわびている愛人を見た。

 しかし、Kが本当に会いたかったのはその愛人ではなく、新宿の店のママだったのだ。

 震災は、本当に会いたい人を浮き彫りにさせるようなものだったのだろう、と私はさほど仲よくもないHさんの話を聞いてはっきりとそう思った。

 たいそうな使命感も、正義感もなく、ただ私は自分が怖かったこと、悲しかったことを伝えられる相手を探したかったのだろうと思った。

 私にとって、震災とはこんなものだったのだろう。

 私は3月11日から、「本当に会いたい人」を探すために、まるで汚水の上に浮かんだ木の葉のように街に流れ出た。その流れは福島に向かっていたのだろうと、今となってはそう思う。

(了)

「境界の町で」について

 本書は著者の岡映里が、2011年4月より原発事故の起きた福島県の町を訪れ、原発作業員の35歳の元やくざの男との出会いをきっかけにして始まった、3年に及ぶ密着ドキュメンタリーである。当時33歳の岡は、夫と別居中であり精神的なうつ状態を抱えていた。強い希死念慮に悩まされながらも「ただ死ぬのではなくジャーナリストとしての仕事をしたい」と福島に飛び込んでいく。当時の福島は放射能を恐れて大手メディアはもちろん警察すら退避をした場所であり、「死にたい」ほどに自棄になっていた岡にとって、自分の命を顧みずに現場復旧にあたる若い労働者たちを目の当たりにして衝撃を受ける。そして、作業員の男との淡い恋愛や、その後の男の父親の選挙への立候補を経て、原発のある町で生きる人々が、原発を簡単に拒絶できない事情や、他の地域からの差別的な目線、そしてたった3年でも忘れ去られ風化が進んでしまう時間の手触りについての実感をつかみとっていく内容となっている。(翻訳者向けのプロポーザルに書いた概要より抜粋)

 

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