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ふたつの「当事者」

児相に相談に行った時の話

 

これからまとまらないことを書きます。

 

北九州の監禁事件のドラマやってたみたいですね。

すっかり事件取材からきもちが離れてしまったので、見ることもしなかったのですが、発生時私も取材をさせてもらいました。

その当時、なぜか福岡と北九州にでかい事件が結構多くてですね、いろんな事件掛け持ちで頻繁に通ってました。私は方言を覚えるのが得意とういか、話し聞いてるとうつっちゃってしばらく「…ち」って言葉の間に挟まれる埼玉人の私にとっては謎の音が耳に残って、そのうち私もその言葉で話しだした……なんてこともありました。

 

自分がいちばん最初に、ああ、自分って何してんだろうって思った事件があるんですけど、それは被害者の女の子(中2)が父親からの虐待を受けていたことがきっかけで、自宅に帰らずに徘徊をはじめるようになり、出会い系で知り合った教師に殺されるっていうものでした。

その事件の背景には、家庭環境があり、アルコール依存の父がいて、だから「非行少女」が非行せざるを得なかった、家に帰りたくなかった環境があるんだよ、みたいなことを割とじっくり取材したものでした。

その取材時、被害者の子の妹が小学5年で、もう少し大きくなったら父親から虐待を受けるんじゃないかと私は危惧した。母親は父親からの虐待を知っていて黙認していた。だったら自分がなんとかしないと……と、東大阪市の児童相談所に相談に行きました。記者なのに。もう、他人事じゃなくなっちゃったんですよね。

そしたらその児相の人が、「通報だけでは動けないんです」(2001年当時)、っていう話をまずしたのと、「ご両親にもそうせざるを得ないトラウマがあると思うからそこを探っていく必要がある」とかうっとりしながら言うので、「もう、これは待ったなしの事案だと思うんですよ」ってちょっと怒ってしまったんですけど、結果的に私は無力でした。

東京に帰って、すごく思ったのが「妹を東京に呼ぶことは出来ないだろうか、うちで引き取るとか」ってことでしたね。結局何もしなかったのですが、そう「思った」ことは事実です。

 

この時に私は「当事者」に対する羨ましさをすごく持った、これが最初の経験だったと思う。その後も自分はどこまで行っても観察者であり目撃者でしかないんだ、と取材者としてのかかわり方に苦しむことになるわけですが。

 

当事者になりたい。

当事者であれば、あの子助けられたかもしれない。

そんなことを考えてました。

 

で、震災取材の時も似たようなことを思ったり、福島出身の作家の方に「福島をネタにしてものを書こうとしているって心が汚れてる」(要約)みたいなことを面と向かって言われたりとかですね、そんなことがあり、そうだよな。とか思って全然書けなくなったりもしました。

で、そういうことも要素の一つとなって自分は病気になりました。

色んな所で書いてるので繰り返しませんが、死にたい気持ちと戦う1年4ヶ月を経て、薬をやめて、認知行動療法を自力で勉強して、いま、17年勤めた会社をやめて、精神保健と福祉を学ぶ専門学校に入りました。

 

当事者って二種類あるんだね

その時にやっと気がついた。

私も当事者だったんだ。

それは、病気の当事者。

学校では病気の人たちがどうやって地域で生活していって、社会的障壁をクリアしていくかみたいなことを1年かけて死ぬほど勉強します。

一日の授業のあいだに「精神疾患」「精神障害者」って言葉を何十回も読んだり聞いたりします。

その都度「私だ」「私のことだ」って思う。

しかしクラスの大半は精神疾患を患ったことがない人たちなのだ。

ここにおいて当事者ってマイノリティだし、そっか当事者について語られている場所にあっても疎外感は消えないのかってことにも気がついた。

 

そのうえで、当事者について発見したことが2つあります。

まず、

「どの当事者になるか選べない」

ってことです。当たり前のこと書いてるみたいなんですけど、私は今更そのことに驚いています。

もうひとつは、当事者って2種類いると思うんですよ。

「望んでないのに当事者になっちゃった人たち」……犯罪被害者、災害罹災者、疾病患者等。

「自ら当事者であることを選んだ人たち」……職業選択の自由を行使して職業的人格を獲得する、ソーシャルアクションを起こす等です。

で、これは同じ「当事者」だとくくって良いのかなっていま思ってます。

なりたくないけどなっちゃった当事者の人たちが、どうやってその当事者性を受け入れるか、って、すごく時間が掛かるし知力を必要とすることだと思うんですよ。そこに個々の戦いって宿っている気がした。

 

おわり。