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正解を求める「受験型人生」をやめたので

クソリプが教えてくれたこと

 

たまに、クソリプみたいなのをもらうのでそのことについて書いてみようと思います。

 

クソリプのなかでも数が多いものでは、「あなたの発言に根拠があるのか」とか、「ソース示せ」とかいうのがあります。「デマで迷惑する可能性があるから、正しいことを証明しながらから書け」とかですね。そういう正義の人が来たりします。

 

それについてこの際お答えしますが、

 

「私が書くものが正しいかどうかは自分で決めてください」

 

これです。

いちおう、私はなにか書くときに根拠を示す必要がありそうなものは何かを参照(たいていは書籍)していますので、「参照元はある」ということは言えます。

でも、それが例えば科学の分野の場合、正しさって暫定的なもので、どんどん更新されていくので「今の時点では正しいみたいだよ」っていうことしか言えないんと思うんだよね。

例えば、精神医学の分野で言えば、昔はてんかんって精神病だったわけでしょう。でも、脳の病だってはっきりわかってから精神病ではなくなったでしょう。

てんかんが精神病だった時代、多くの人達はてんかんが精神病だと思っていました。

あたりまえのことを書いているようですがこれってすごいことですよ。

これが、漸進的に正しさが更新される科学の特徴なんじゃないでしょうか。

 

でも、てんかんが精神病の時代でも「これ、精神病じゃないんじゃないか? なんか違うと思うんだけど」と、反証に値するある「法則性」を見つけた人は結構いたはずなんですよ。でもその人が人に伝える力や意思を持ってなかったり、当時の常識ではなかったので黙殺されたりいろいろしたんだろうと思う。

 

私自身、デパス飲んで大変なことになったことがきっかけで、薬が身体から抜ける時の気分について考察する機会を与えられて、こんなことを書きました。

www.okimhome.com

 

クソリプの方々のツッコミもあった記事ですが、当然のコトですが私のこの実感にはなんの根拠(参照元)もないです。

でも、デパスを飲んで死にたくなる実感を覚えたのは「事実」なので、自分にとっての事実を書いた。

 

このように、私のブログのスタンスは私の実感をメインに書いているものばかりです。その実感が、現時点でどのような裏付け、根拠があるのかっていうのは自分が知りたいので調べています(この実感という現象を考えるためにかなり役に立つし面白いから)。

ただ、それが未来永劫不変に正しいかと言ったら正しくないと思います。

正しさの時間的射程をどこに置くかで、変わってくるんじゃないでしょうか。

 

翻って私が読者の側に立った時。

私が文章を読むスタンスについてなんですが、書かれていることは自分の考えを更新していくための材料でしかないって思ってるんですよね。

書かれてるものが正解だって思ってないんですよ。(ごめんなさい)

そのほうが、間違いに気がついた時に身動きが取りやすいって思ってるので。

 

正解を求めるのは「努力の方向性」を決められるから

 

日常生活の中で出会ういろんな人とお話していると、「正解を求める」スタンスで生活している人って結構たくさんいます。

見えない先生に向かって答えを出し続けるような生き方。

「このまま進めて良いのかどうか、方針的にも倫理的にも自分には合わなくてザラッとした気持ちになるけど、とりあえず最後まで仕事を終わらせよう」

「ここで、知らない、分からない、ごめんなさい、と言うと怒られるかもしれないから、なんとかごまかさないといけない」

「うまくこの場をまとめないといけない」

とか。いろいろありますよね。

あと、アラサーの女の子にものすごくあるのが

「結婚するのが正しい」と思い込むあまり自分を見失ってるケースですね。

これは相当知的レベルの高い人でもなるので、世代的病なんだと思いますが、「正解求める生き方」が最も強度を増している現象がこの世代の女の子たちの「結婚したい」だと思ってます。

 

でも、自分の気持置き去りにしてその「見えない先生」がマルをくれるかもしれない正解を出し続けても、当然その「見えない先生」って存在しないわけですよね。

むなしいんですよ、マジで。

私も途中まで「見えない先生を探してた」んですが、なんか心がスカスカになるんですよ。

で、もう、先生にマルもらうのやめたんです。考え方も変えました。今は社会って無限の正解が存在するっていうか、正解なんてないって思ってます。

 

ではなぜ人は正解を求めるか、と言うと「努力の方向性を決められる」からなんだと思います。

正解に向かって努力する、その努力の仕方ってある意味楽ですよね。

筋トレしたら筋肉がつくとか、ロールプレイングゲームをするのと同じで、時間を使えば絶対目標をクリアできるわけ。道が一本しかないところをずーっと進んでいけば報酬(正解、ゲームのゴール、筋肥大)が得られるってことじゃないですか。

つまり受験マインドなんですよね。やればやっただけ成果が上がる。そういうものが人生であってほしい。それはよくわかるけど、そういうことはありえないんだと諦めたんですよ。

 

私は受験型人生から降りた人間なので、私に正解を聞いても何も出てこないのでごめんなさい。

 

じゃあ、自分のこととして、正解がないけど努力できるか?

努力の根拠にできるものって何か? って言ったらそれはほんとに好きなモノを見つけることしかないんだと思う。

そして、正しさは常に更新されていくので、だから自分も常に更新されていくんだな、そのためにインプットたくさんしないといけないな、止まらないでがんばろー、って常に前を向ける忍耐力かな。それがあればなんでもできるんじゃないでしょうか。

 

無職一年生の自分はそう信じております。

 

おわり