自分の地図をつくろう

新しい場所に出かけて楽しい経験をしよう

自分を捉えなおす

書いて自分を見つける

 

本が発売になりました。

今日は体調を崩して寝込んでまして、なんだかぴりっとしない一日になっちゃった。

共謀罪は成立。

国会が終わって、早朝の空は青くて澄んでいた。暑くなりそうだな、なんて思っていてこの時自分のだるさはまだ二日酔いかなんかだと思っていた。

昼ごろからどんどん熱っぽくなっていき、寝ながら都心のビルに区切られている狭い空をみるか、放送大学も学校の勉強の復習になるので少し見た。

夕方、カレー食べに外に出たけど、一歩前に進むとアスファルトが沼みたいに沈むので、信号渡る時に横断歩道で溺れそうになった。だからすぐに帰って寝た。

眠るのに飽きたらTwitterを見ていた。

 

私が作家になるとかなんて考えもしなかった時、大きな地震がきて、生活がまるっきり変わってしまった。私は東京のこの部屋で見えない津波に巻かれて溺れていた。家から出られなかった。自分が遭難しているんだということ自体に気がつくこともなかった。

声をかけてもらったウエブマガジンにぽつぽつ、エッセイを書かせてもらって、それが自分が書くことを意識した最初だと思う。

Twitterではこのころから私の文章を読んでくれている人が、新著を買ったとTweetしてくれているのを見つけて、ほんとうに嬉しかったです。

 

なぜ書くことに取り憑かれたのか。

それは書くことで自分を捉えなおす事ができたからなんじゃないかなと思う。

なんかしらないけど、わけがわからないぐらい苦しい、死にたいと思わないけど死ぬことを選ぶってこんな状態なのかもわからない。そういうことを考えていたのが2011年の暮れ頃だった。

頭は混乱しきっていた。

 

2011年12月16日。
わたしは自宅から一歩もでられなくなってしまった。
職場にも行けなくなった。
結婚していたが、夫には理解出来ないかもしれない理由で結婚生活も「精算」した。
わたしには子どもがいないから、社会生活も家庭生活もなくなり、わたしはわたしだけしかいない世界で暮らし始めた。
わたしは震災以前のわたし自身をもう永遠に取り戻せないかもしれないと思うようになっていた。

ねこ3匹とわたしひとりで、部屋の中でしんとしていた。
自分を小さくしていって消してしまおうと思っていた。

「ああ、この都心の部屋にも、津波がきたのだ」と気がついたのは、引きこもって2ヶ月目のことだ。
東京都心の4階のこの部屋にも、津波が来ていたのだ。
わたしはこの部屋で見えない津波にまかれて溺れていた。
わたしのもとには、救助も、災害ボランティアも来なかった。避難所はできなかった。
報道は、東京で津波に巻かれているわたしやわたしのような誰かの存在を素通りした。
わたしは誰かのためにネット上に情報を提供する身であり、
思いやりのない誰かを攻撃する身であり、被災地に寄り添う身であった。
わたしは溺れているわたし自身を助けようとはしなかった。わたしは自分が溺れていたことを知らなかった。

「わたしは生きたい」「死にたくない」と、自分の頭に自分の声が響いたのはその晩のことだ。(ウエブマガジン『アパートメント』へ提供したエッセイより)

 

これを書いた時に、「ああ、自分は今助けが必要なぐらい困難な状態なのだ」とようやく自分で気がついた。

それは驚くような発見だった。

自分が健やかな方向に向かうためには、今自分がどんな状態なのか、まず言葉にする必要があるのかもしれない。

暗闇の先にまだ光は見えないような気持ちだったけど、この時、「自分を発見した」鮮やかな体験は、書くことによってもたらされたのだ。その事実が自分に残った。

 

職業上、文章には大量に触れるし、仕事を通じて原稿自体は大量に書いてきたと思う。

でも、自分のための文章を書く力は脆弱だったから、時間をかけて徐々に徐々に、少しずつたくさん、かけるようになった。

 

自分の負の過去を宝物に変えることができる

 

私は自分が持っているものを愛することができなかった。

不仲の両親、自殺した母、バブル期なのに貧困の中で育ったこと、若くない自分自身、自分の病気、友達をうまく作れない性格、人とどうしても距離をおいてしまう性格、突然いろんなことが色あせて見えてどうでも良くなってしまうクセ、キレてしまうクセ、離婚した過去、そういうもの。

 

ところが、自分が文章を書くようになってしばらくして、ある時、

「これって昔の文学エリートみたいな経歴じゃね?」というふうにも思ったのだ。

世の中には「苦労なく育った」ことにコンプレックスを持つ人だっているらしいのだ。

そう考えたら、自分のこのマイナス要素は自分の解釈一つで、「宝物」に変えることだってできるんじゃないか?

 

北方謙三さんが作家になった理由は、肺結核を病んで就職が絶望的になったことなのだという。「結核は一般社会人になるには不適で落伍者だろうが、文学的には結核持ちはエリート」という超ウルトラCのような発想の転換をして文学の道に入った。

そういう価値の転換は、自分の人生にも起こせるんじゃないかな、そんなことを思った。

要はなんでも良いんだ、自分を励ますことができたら、倒れていた自分を起き上がらせることができる。そして方向は定まってないかもしれないけどどこかに歩き出せる。歩いていたら誰かに会ったり、どこかにたどり着く、また転ぶかもしれないけども。そのための「起爆剤」が、私にとっては書くことを通じての「自分の捉え直し」の作業だった。

 

書くのは未だに、たくさん書けない時が多いし、考え込んでいる時間が長いので、私の憧れる多作の作家にはまだなれないかもしれないけど、時間をかければきっと自分が好きなものを書ける自分になれると信じている。

 

私の好きなものは、車を走らせている時に流れていく風景、それを見ながら運転席に座っている人とある種の自己開示をしあう瞬間、この世から消えた人について考えることだ。だから、今そんな要素のある文章を書いている。時間をかければ。絶対に自分が好きなものを作ることができると信じている。

 

もうずっと、24歳の頃から、「自分は若くない」って信じていて、6月生まれの私は毎年、年が明ける度に自分の年齢に一つ年を足して、心の準備を半年もしなければ誕生日を平常心で迎えることができなかった。

今月、40歳になるけど、自分がもう若くないとはなぜか思わない。

人生が80年もある理由は、自己変容を起こす機会を伺える、そのための自分の捉え直しをする時間が与えられているからではないかなと思う。

そういう機会を持つことができただけでも幸せだ。それも、書く、という行為によって。

 

自分を捉えなおすきっかけになったことは書くことだったし、自分が好きな世界を作る道具になるのも書くことだ、私にとっては。

 

今日も文章を書くことができて嬉しいです。

 

『自分を好きになろう』、自分を好きになりたいと私自身がずっと願っていることだ。

自分を止めてしまうことの一番の要因は自己否定だと気がついたからだ。

この本に漫画を描いてくださった瀧波ユカリさん、医療監修をしてくださった犬山病院の高沢悟先生、そしてKADOKAWAの編集の滝本さん、間さん、それから自分が好き勝手なことを書ける環境を整えてくれたあらゆる人達に感謝します。