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他人に対して「以前とは言動が変わった」と批判的な方へ。人生は試行錯誤の過程を経ることだから、言動の変化を伴わない思索に意味はないと私は思います。

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たまに聞かれる「以前オカさんははこういっていたのですが、心境が変わったのですか?」という質問について、思うところがあるので書きますね。

 

今日、noteのほうの日記に「自分も(その心境を脱したつもりではいるけれど)、自殺をいずれする可能性だってまだまだあるんだろうな」というようなことを書いたのですが、日記を読まずにタイトルだけを見たSNSのフォロワーさんから「前はもう自殺はしないだろうって言っていたけど何か心境に変化があったんですか?」と聞かれました。

note.mu

 

この方のように、たまに「前は〇〇って言ってたけど今は違うんですね」と聞いてくる方がいます。

 

ごくまれに、「前と言っていることが違うので、嘘だったんですね」みたいに批判に踏み込んだコメントをくれる方もいます。

 

それを見て思うのですが、おそらくこのブログや私の言動を「不変の結果」としてみているからなのかなーと。

なんというのか、「タンパク質を摂取するには豆乳を飲むとよい」という、すでに物事が定まって変化しにくい「結果」として、私の発信をとらえてるのかな、と思いました。

でも、思考って生きていると、変わると思いますよ。

 

そもそも私は、「人生は〇〇なものである」という結論を書くために外に発信しているのではなく、思考の過程を書いているつもりです。

ブログ等の発信の方針は、「3年前の自分に向けて書く」というものです。自分と似たものを持っていて、自分よりも生きるのが下手な自分に向けて「こういう風に考えることもできるかもよ?」ということを書いているつもりです。

ただ、これを「絶対不変の結論」ととらえる方は今後もいると思うので、この辺で記事に書いておこうかな、と思いました。

 

なぜかネット上ではものすごく、「言動の一貫性」を求めてくる人が多いように思うのですが、私は私の試行錯誤をして生きていくしかないし、そこで何を感じるかは私だけのものです。

例えば会社員だった、会社員を続けようと努力していた自分と、会社を辞めた自分とでは感じることは全く違ったり真逆だったりします。

そこで感じたことを素直に書いた結果、「前と言っていることが違う」となるのは当然だと思っています。

 

あと、もうひとつ言いたいことは、思考の変化を伴う際に開ける視界があるのも、知っておいたほうがいいと思います。

例えば私は2011年当時、「福島観光地化計画」というネーミングに拒絶反応を示しましたが、その数年後にその提唱者である東浩紀さんの「ゲンロン0」を読んだとき、「ああ、こういうことだったのか」と理解できただけでなく、「あらゆる災禍や功績を伝え記していくのは、すべて二次創作(観光的目線)である」という東さんの論考には蒙を啓かれました。

 

ゲンロン0 観光客の哲学

ゲンロン0 観光客の哲学

 

 

私の被災地取材に関する考えはここで変化し、強化されたわけです。

 

他人の変化を監視して「あの時ああいったのに・・・」というのは、他人に変化されると困るからなのかな、とも思います。

 

うまく言葉にしきれないので、この記事を書く上ではこのページを参考にさせていただきました。

mubou.seesaa.net

 

ここに整理されていますが、

 

ネットでは物凄い精度で「思考の一貫性」が求められる様に思う。2ちゃんねるの様な批判のライブラリを眺めると分かりやすいが、「以前言ってたことと違う」という言動はどんなページでも格好の批判の的である。例えば思想系のページが攻撃される際、以前の話が色んな角度からテッテー的に分析され、現在の言動との不整合が見つかった瞬間に攻撃者側がハイペースで勢いづき、しまいにはページが「炎上」に持ち込まれるとか、実によくある話であったりする。

別にネットに限った話でもなく、議論や思考においてはとかく「一貫性」が求められ、「頑固一徹」とか「一本筋の通った」という言葉がもてはやされる傾向が割とあちこちに見られる。日本だけの話なのかどうか知らないが、変節や言動の変化を好まないのは社会の一般的な風潮の様だ。

まず、ここで私が感じた違和感。「思考の変化を伴わない議論や思索に、意味はあるのか?」

私の頭ン中の話なのだが、この場合の「言動の変化」とか「思考の変化」というものは、おそらく次の2パターンを混同しているんではあるまいか。

A.短いスパン、あるいは同じ議論の中で自分に都合の良い様に見方を変えること
B.議論、あるいは思考を経て、確信的に自分のスタンスを変えること

この場合、通常批判される「変節」とか「ダブルスタンダード」と呼ばれるものは、多分Aのことを意味しているんではないかと私は思う。まあ我田引水とも自分勝手とも言えるし、こちらの「思考の変化」はあまり見てくれの良いものではない。そもそも芯が通った思考がそうころころと変化する訳もないのであって、こちらのパターンでは「表面だけの思考」であることが丸分かりである。Aが嫌われるのは多分その為だ。

一方のBは、私が考えるところの「思考の本来のゴール地点」という奴である。きちんとステップを踏んで考えて、その上で自分の意志で自分の思考を変える。一概に成長とばかりは言えないかも知れないが、これは本来議論にも思想にもつきものである筈だし、またそうであって然るべきだ。

つまり、芯が通った思考が筋道立って変化するのであれば、それは批判される筋合いのモンでもないよね、芯が通ってない思考はかっこ悪いよね、という結論が取り敢えず出せる様だ(政治家の変節とかに関しては、言辞の責任というものが伴って話がややこしくなるのでここでは避ける)。

以上、「思考が変わる」側の整理。考えてみれば当然の話だ。

こちらの記事の 一読をお勧めします。

 

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