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ちょうどいいブスのみなさんへ

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「ちょうどいいブス」という看板を掲げて男性に互していくのは戦略としてはありだとは思います。

 

でも、ちょうどいいブスになる前にちょっと考えてみてほしいなって思う。

もったいないから。だってほとんどの女性は意思の力できれいになれるって私は思っているから。

なぜ「ちょうどいいブス」が生存戦略として有利だと思うに至ったか、その心の動きを考えてみると、おそらく、なんか、女性のほうこそが「男ってこんなもん」というある種のあきらめというか、見下しがあるのではないかなということをうっすら感じるのです。

「ちょうどいいブス」でいれば油断してくれるような男性たちのソサエティに、ちょうどいいブスのみなさん自身が絶望している、、、そのことに案外無自覚なんじゃないかなって思う。。。

 

そんなことしてまでちょうどいいブスになる必要はないと思うんです。だって、実は別にその男社会には用はほんとはないんですよ。そこがすべてじゃないし。

そこにいなくても、別に生きていける場所なんていくらでもあるのに。

じゃあなぜ、その、女性をちょうどいいブスにしておかないと安心できない「程度の低い」男性社会にしがみつきたいのか、というとやっぱり自分の自立に対する自信のなさがそうさせるのかもなって思うんですよね。

 

でもほんとに、自信ないですか? って同時に思うんですよ。

とりあえず見切り発車でいいから勝手に自立して勝手に美しくなると、これまで会ったことがない人たちのいる場所に気がついたらいたりします。

 

あと、、、この人すごいなって男の人も少ないけどいますよ。

そういう人はちょうどいいブスに擬態して「フツー」の社会のドレスコードに慣れきったあなたのことをもしかしたらつまらないと感じるのかもしれないですよね。そういう出会い方って悲劇な気がしてる。着たくない服着て会いたい人に会うなんて。

 

去年は相談を対面で結構受けていて、女性はみんなちょうどいいブスをやろうとして自意識ボコられてる人多かった。

とても美しい人でさえそうで、美しい人ほど悲壮感がすごいと思ったな。

ちょっと話がずれちゃうけど、多分美人というだけで生きにくい社会があって美人の人は普通に生きられないと早めに自覚するべきなんだよなとも思いました。

 

確かに、堅気で生きていくのが難しい顔の人っている。でも美醜関係なく苦しみをうまく取り扱えるかどうかは、結局自己肯定感の問題だと思います。

 

またまた余談だけど、整形もありだと思う。

整形はありだと思うよ。。。決断力とか情報を得る力とか、あと自分の顔に対する理解があって初めて成功することだと思うし。すごく主体的な行為だと思う。40過ぎると若いって言われるのマジでうれしい、これは本能だからね。だから、私もいずれやるかもしれないし。何事も否定せずに置きたい

二十代のころはナメられたくなくて30代に見られたかったけど、39歳ごろになって「これ以上年取りたくない・・・」って本気で思った。でも周りには「別に若く見られたいわけじゃない・・・」って言ってた。いやちがう。今のベストの見た目でいたいだけ。そしてそれはちょっと気を付ければ実現できること。何より自分がそうしたいって思うなら、自分にそうさせてあげたいじゃないですか?

 

 

私自身、「ちょうどいいブス」というか、自分の女性性や容姿についてほぼ無意識に数年前まで生きてきてしまった。

で、私は今何を考えているかというと、ちょうどいいブスも、他人からの理解を得られずとも自分の美を貫いている「美人を意思する人」も、同じように年を取っていくんだなっていうことです。

ちょうどいいブスは自分を低くするテクニックをとても身に着けてゆき、一方で「美人を意思する人」は、常に美人である自分を選び取る戦いをした人になっていく。

他人軸に合わせて生きるか、自分の軸を作って確立させていくのか。

どっちになりたいか、ってことなのかなって思います。

私は今からでも美人になりたいです。

 
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