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「なぜ」には「なぜ」が来る

反芻をやめるには「なぜ」をやめること

先日、「トラウマ的な出来事から自由になるためには、その出来事を繰り返し反芻(※)することをやめること」が大事だ、という記事を書きました。

(※反芻=はんすう=言葉や経験についてくり返し考えること)

www.okimhome.com

でも、「どうやったら反芻思考を止められるのか、その止め方がわからない」と思われる方も多いのではないかと思いますので、その具体的な方法について書いていきます。

 

ちなみに、方法は一つではありません。たくさんいろんな方法がありますので、少しずつ紹介していこうと思います。

 

今回は「なぜ」をやめるについて。

 

「答え」のある「なぜ」に反芻力はない

私は自死遺族です。

27歳の時に母を飛び降り自殺で亡くしてから、15年ほどの間は、母の自殺について繰り返し考える反芻思考を続け、自分を傷つけてきました。

その反芻思考を続ける原動力になるものが「なぜ」という問いかけ方です。

 

なぜ、母は自殺したんだろう?

なぜ、事前に相談してくれなかったんだろう?

なぜ、私はあの時母を止められなかったんだろう?

「なぜ…」

「なぜ…」

 

何度も何度も「なぜ」を使って、母の自殺について、あらゆる角度から反芻してきました。

そして、これらの「なぜ」には「答え」がないのです。

というか、「答え」がすぐ出る「なぜ」には、出来事を反芻させる力がないのです。

だから、答えのない「なぜ」を用いて、いつまでも終わらない反芻を続けてしまいます。

 

「なぜ」には「なぜ」がくる

「なぜ」の対は「答え」ではなく、また違う「なぜ」が来るだけなんですよね。

「なぜ」のインフレが起きてしまう感じです。

そして、「なぜ」の反芻思考は、自分を傷つけます。

いくら考えても答えが出ないのは、「自分が悪いからだ」ということにしてしまうからです。

 

「なぜ」、、、と考え始めていることに気が付いたら、

「あ、またなぜなぜ問答をやっているな」と自分に声掛けをして、その都度止めるようにしました。

はじめは慣れないので、しばらく「なぜ」を考え続けてしまうかもしれませんが、やっているうちに、「なぜ」が始まりそうになるとすぐ止めることができるようになります。

 

自死遺族に限らず、トラウマ的な出来事の「反芻思考」を止めたい方にとって、もし少しでも参考になれば、うれしいです。

 

 

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