自分を好きになろう

人生で味わったうれしさも悔しさもフル活用して、新しいことにチャレンジしよう

「意味のある人生にしなければ」という思い込み

こんにちは。

 

最近、中年世代のお客さんから、たてつづけに

似たような相談が来たのでシェアしようと思います。

 

大体みなさん、異口同音にこうおっしゃいます。

「私の人生、普通に生きすぎてしまった。

生きがいについて考えず、漫然と仕事してきてしまった。

生活に不満はないけど生きがいも感じない。

このままでいいんだろうか悩む。

仕事をやめて、生きがいを感じられることを

探した方がいいでしょうか?」

 

私は、その人に届く言葉を探しながら、

「仕事はやめない方がいいよ」と

なるべくお伝えするようにしています。

 

そもそも、生きがいを見つけることができていたら、

わざわざ占いに相談しませんし、

仕事をやめてから生きがいを探すのではなく、

生きがいを見つけてから仕事をやめた方が

安全に人生を渡っていけますし、

その見つけた生きがいがそもそも、

いまの仕事と絶対に両立しないかどうか、

わからないのに仕事やめちゃったら大変じゃないですか。笑

 

まあ、そういうことを、その人が受け入れやすい言葉で

お伝えしていくわけなんですが、

というかそもそも「生きがい」とか絶対に必要ですかね。

「有意義な人生」って絶対に送らないといけないんですかね。

なんか、老いも若きも、健常者も障碍者も

「自分らしく」「やりがいのある」「輝いた」人生を送らないとならない、

そう思い込みすぎてないかなあと思うんです。

 

目の前の仕事を淡々とこなして、

家族がいれば家族とくだらないテレビかなんかを見たり、

取るに足らない口論をしたり、

独身だったら、ひとりで晩酌を楽しんだり、

孤独が身に染みてジーンとなったり、

それだけでいい、というか、息してるだけでも

別にいいんじゃないかなと思うんですよね。

 

生きてるだけで合格。

 

そういう感じで自分に課すもののハードルを

極力下げて地面と同じレベルにしたときに、

「ああ、仕事があるっていいなあ、ヒマがつぶせて」

「ああ、家族がいるっていいなあ、ヒマがつぶせて」と、

今与えられているものに感謝できるんじゃないかなあと、

そんな気がします。

 

そもそも、生きがいがないといけないっていうことに対して

「何とかしなければ」「自分はダメだ」と思うこと自体、

「生きがい教」に洗脳されて脅かされてるだけですから。

存在しない蜃気楼みたいなものを追っかけ始めると

待っているのは苦痛だけだと思います。

 

日本人って、今ここにないものを探し求めてしまい、

今を楽しむのが苦手なのかもしれないなと思います。

 

 

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