自分を好きになろう

人生で味わったうれしさも悔しさもフル活用して、新しいことにチャレンジしよう

洗っていない犬の味

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わたしは、久留米から博多に向かう夜の高速バスに乗っていた。
足もとで、10リットルの水が入ったポリタンクがゴトゴト鳴っていた。
その水は、わたしがバスに乗り込むときに、吉田純子の夫がくれたものだ。

吉田純子とは、レズ関係にあった堤美由紀と同僚看護師二人を精神的に支配して
貯蓄や給与を上納させた挙句、同僚看護師二人の夫を殺害し保険金を手に入れた、
保険金殺人事件の主犯の名前だ。
だまし取った金は、総額2億円と言われている。
その金を、久留米市内の高級マンションの購入費や、旅行や、エステに使った。
純子は2002年に逮捕され、現在は死刑が確定している。

             ※

「ブドウ狩りにいかん?」
と、純子の夫から電話があったのは、初公判の日の早朝だった。
わたしは、久留米駅そばのワシントンホテルの部屋で、まだ眠っていた。
「裁判、見に行かないんですか」
「いかねえよ」
「わたしは行こうと思っているんですよ。だから、すみません」
身支度をして、わたしは、純子の娘三人と福岡地方裁判所前に向かった。
わたしは取材者としてまるひと月の間、純子の娘たちと、純子の夫と接触し続けていた。
2002年8月27日の朝はよく晴れていた。

事件の関係者である娘たちは、初公判を優先的に傍聴できるのだが、
わたしのために傍聴希望者の列に並んで抽選に参加してくれるということだった。
列はざっとみただけで100人以上になり、新聞やテレビ局の記者たちが
「今回の事件をどう思うか」と列を作る人たちに聞き込んでいた。
ICレコーダーを持った記者たちは、わたしたちの前にも立ち止まった。
その都度、「傍聴券とりのアルバイトなのでなにもわかりません」といって逃げた。
殺人事件の被害者の遺族に密着したことはそれまでに何度かあったが、
殺害した犯人側の家族とふかい関係を持ったのはこれが初めてだった。

わからないことが多かった。
妻の初公判の日にブドウ狩りに行こうと誘ってくる夫の気持ちもわからなかったし、
娘たちの気持ちも測りかねた。

特に19歳の長女の気持ちがわからなかった。
決して美人とは言えない純子に、最も顔が似ていたのが長女だ。
彼女は計画段階ではあったが、純子に殺されそうになっている。
すでにその事実は従犯三人の調書や証拠等であきらかになっていた
事件後に長女もそのことを知った。
事件前までは決して仲のよい母子関係ではなかったと、
長女もわたしに話をしてくれたことがある。
 
純子が逮捕され、拘置所に入れられた後、長女は、
自宅から博多まで定期券を購入し、毎日接見にでかけるようになった。
福岡拘置所にいる純子に手紙を書いたわたしに、
電話で返事をしてくれたのも長女だった。
「母のこと、助けてもらえますか」
「お母さんを無罪にしたりする力わたしにはないし、それは無理かもしれないです…」
「どうしても保釈をとって、ちゃんと関係者に詫びに行きたいと言っています」

無罪を主張する純子が、「関係者」に詫びる必要などないのではないかと思ったが、
保釈をとるためには何でも言うだろうとも思った。
「お母さんの言い分を記事にすれば、支援の方がでてくるかもしれません。
もし手記を出版することになれば、すくないですが印税も入ります」
「いくらになりますか」
金の話になって、長女は切実な様子で質問を繰り返した。

博多駅で待ち合わせたとき、わたしを見た長女は
「もっと年上だと思っていました」と言って笑った。
そして、自分の車に乗らないかと言ってくれた。
黒い車高のたかい軽自動車。 
車内には当時流行していた、宇多田ヒカルの「SAKURAドロップス」が流れていた。

そのまま事件が起きた自宅である、
久留米市内の高級マンションの最上階まで案内してくれた。
純子の娘三人と純子の母は事件後も、この部屋に住み続けていた。

翌日は雨で、夕刻、わたしはなんのあてもないまま、
善導寺にある吉田純子の夫の実家の玄関先にいた。
あと一時間ほどで、完全な夜になる。
蚊柱があちこちで上がっていて、遠くには牛の餌になる干し草が
白いビニールに巻かれてテトラポットのように積んであるのが見えた。
全く車が通らない。
雨で、真っ暗で、蚊柱で、携帯の電波も届かなくて、ひとりでいるのが怖かった。
不安な気持ちで、2時間ほど待っていると、純子の夫が白い車に乗って戻ってきた。
殺人犯の夫に会ったわたしは、「よし。口説いて話をとってやる」という意気込みより
「いま、誰でもいいから人間がいてうれしい」という気持ちの方が強かった。
取材をさせて貰いたいと、伝えた。
純子の夫は「飯食いましたか」とわたしに聞いた。

40代半ばに見えた純子の夫は、背は高くないが、
みっちりと付いた筋肉はよく使い込まれているようで、
体を使う仕事をしているとひとめでわかった。
「食べてないです」
「おれもまだなんです。じゃあ、飯食うか」
助手席にわたしが乗り込むと、車は走り始めた。
車は30分ほども走り続けた。どこを走っているのか、わたしにはもうわからなかった。
何か手荒なことをされたり、殺されるたりするかもしれないと少し思った。
ついたところは、ラーメン店だった。
「このあたりで一番うまいんです」
と、純子の夫は言った。
まるで洗っていない犬のようなにおいのするスープの、
けものの味のとんこつラーメンだった。

純子の夫と純子の娘たちは、お互い一切交流をもとうとしなかった。
運転免許を持っていないわたしは、純子の夫の車にも、
純子の長女の車にも乗せてもらった。
運転席と助手席に並んで、同じ方向に目線を向けて話すことは、
わたしにとってはとても楽だ。
純子の夫は、わたしを実家の善導寺の地名の由来となった寺院や、
気に入りの飲食店につれて行きたがった。
純子の長女は、母親の保釈を何とかとりたい、それにはどうしたらいいか、
と言うことばかりを話し、わたしに意見を求めた。

初公判が終わったあと、わたしは長女と、
宇多田ヒカルのアルバム「Deep River」がエンドレスリピートされる車に乗り込み、
久留米の駅周辺をぐるぐる走りながら、話をした。
わたしは長女に言った。
「もうさ、お母さんとかかわるの、やめたほうがいいよ。お母さんさあ、
あなたのこと殺そうとしたんだよ? そのことは忘れない方がいいよ」
長女は「妹二人はまだこどもだし、お父さんもああだし、わたししか、
母の気持ちは理解できないと思う」と言った。
溺愛されていた末娘は、ふわふわした綿菓子のような気持ちの優しい子で、
初めてあったとき「おかあさんがかわいそう」だと言って泣いた。
わたしも末っ子だから、見なくていい部分を見ずにすんでいる
末娘のその雰囲気がとてもよくわかる気がした。

「毎日母親の接見のためだけに時間をつかっているのって、
少しヘンだと思うんだよ。だって、自分の夢だってあるでしょう?
「うん。やりたいことはある」
「なにがやりたいの?」
「エステティシャン。わたし、すっごく太ってたのね。
どんなダイエットを試しても痩せなかったの。
 逮捕される前、母と一緒にエステに通っていて、
一年間で10㌔以上痩せることができたの。
 だから、努力すれば夢がかなうって、
エステの仕事を通して太って悩んでる人に教えてあげたい、
あなたも夢が叶うんだよって」

初公判で、純子の手帳に記された言葉を
検察官が読みあげたシーンがフラッシュバックした。
「本日、マネー、やっと念願、ヤッター三千四百五十万円」。
仲間の夫を殺して、保険金を手にした日に記されていた文字列だ。

この家の人びとのことが「わからない」のではないのかもしれない。
わたしはこの家の人びとが「好きになれない」のかもしれない、そう思った。

夜は、純子の夫に会った。
日中に、ひとりで摘んできたブドウを手渡してくれた。
彼は初公判での純子の様子に関心を示さなかった。
「この辺は、うまいわき水がでるんだ」
帰りがけに、わたしに10リットルのポリタンクを渡した。
「ありがとうございます」
博多に着いたわたしは、その水をホテルのバスルームに捨て、
ポリタンクは係りのひとにいって破棄してもらった。

東京に戻り、長女に取材結果を記事にすると告げるときに、わたしは言った。
「あなたは、あなたなんだから、お母さんのためではなく、
もう自分の人生を生きたほうがいいよ」。
いま、ふりかえると、なんと醜悪なことを言ったのだろうかと思う。
わたしは、保釈への執念を向けられることをかわしながら、
長女から断片的に伝えられる純子の最新情報を聞き取っていた。
取材者として、記事にするために。
でも、わたしは取材者ではない、生身のわたしの考えも彼女に伝えてしまっていた。
「自分の人生を生きなよ」と。
そこは越えてはいけない線だったと、今はわかる。
わたしは、あくどい両替商のように、日替わりでルールを変えて長女に接した。
わたしと長女は、その後電話で数度話し、長女はわたしの電話には一切でなくなった。

                             ※

数年後わたしは久留米に向かうために、博多に前泊していた。
翌日の朝には、結婚の挨拶をするため、夫になる男性の実家に向かうのだ。
わたしは、中洲の屋台に座って、博多川を眺めていた。
「川が逆流してるね」
川は、満潮にあわせて、目のふちに涙がふくれ上がるように、ゆっくり増水していった。
新婚らしい、機嫌の良い時間をすごしたあと、
夜ふけに彼は、「博多で食べられる久留米ラーメンの店」に連れていってくれた。
けものの味のラーメンだった。
この味を知っているとわたしは思った。
純子の夫が食べさせてくれたラーメンももしかしたらこんな味だったかもしれない。
わたしは、純子の長女の名前も、純子の夫が連れていってくれたラーメン店の名前も、もう思い出せなかった。