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自分の地図をつくろう

新しい場所に出かけて楽しい経験をしよう

セブ島に留学することになった話。

たのしい生活 40歳のセブ島英語留学

セブ島。フィリピンのどこかにある島。

東南アジアは結構行ってると思うんですが、フィリピンに入ったことがなかったんで、よく知らないままです。

 

ただ、私が2009年ごろからなぜか自主的に行っている大東亜共栄圏めぐりには重要な場所なので、フィリピンにいつか、いきたいなー。と思ってました。

 

これは引き寄せの法則ってやつなんでしょうか。

そんなときにこのブロガー募集の記事を見かけました。

ceburyugaku.jp

 

ブロガー様のメリット

・セブ島留学、宿泊施設込で1日6時間〜8時間の授業を1ヶ月間まるまる完全無料で受講できます!(20万円〜30万円相当)。
・記事ネタとしてもセブ島留学はホットです。教育関連や観光関連のキーワードによる、新しい潜在ファンへのリーチが可能。
*航空券や海外旅行保険、VISA(30日以上滞在する場合)、SSPなどはご自身でお支払する必要があります。

 まじ!!!

私、ちょうど無職になるので、これはスゲーいいなー。と思いました。

英語は、2年ぐらいスカイプ英会話をやってて、もう、自分が外国に出かけて行った先の地元民たちとか、日本に来た観光客とかと適当に世間話するぐらいは英語に対してアレルギーはありません。

高校二年生の時、学校の施設に一年近く住んでたことがあるんですが、そこの管理人が日本語が全く話せないイギリス人のおばさんで、その人と毎日話していたので、なんか、昔は英語が話せたんだと思います。あと、とーいっくとかはやったことがないんですが、20年以上前にセンター試験を受けたときに200点中198点だったので、英語の基礎はあると思います(中国語とか、突然習うと、全く素地がないのですごく難易度が高く感じた。日本の学校教育の英語はすごく自分の英語の上達スピードを上げてくれていたんだなと実感した)

でも、もう少しがっつり話せるようになりたいなーと思っていたので、こういうインテンシブなプログラムはすごくいい!!!

自己負担の航空券はマイルかLCCで何とかなるし。

旅行保険はアメックスに入ってるからカードについてるし。

つまり実質ほぼ無料。すげえ。

応募したい!!!

と思いました。

 

でも、いくつか不安要素が。

①ねこがいるので、一カ月家を空けられないかもしれない。

(ペットシッターを頼むと一日3000円かかるので、月額9万円支払うとなると、無料でセブにいけるにしても、けっこうな出費だなと)

②4月から通う専門学校を休めないかもしれない(授業料113万円を納付してしまったので、一カ月休むとすると10万円くらいの学費を無駄にする計算になる)

 

うーーーーん、

でも、せっかく無色だし。

やりたいことをやる、これだけを自分の人生のテーマにするって決めたから会社も辞めたんだし。

あと、英語、もっと話せるようになったら、単純にコミュニケーションをとれる人口が、数倍になる。もっとたくさんいろんな人と話したり、躊躇なくいろんな場所に行けるようになりたい。

これは明らかに自分の「やりたいこと」だ。

ってことで、応募しました。

 

2日後……

合格しました!!!!!!

イエーイ。

今回私を受け入れてくださるのはこちらの学校です。

 

3d-universal.com

・ESLコースにて1日7時間(4時間のマンツーマン)または5マンツーマンコースの授業
​・Tsaiホテル寮の一人部屋
​・毎日三食、掃除(週2回)、洗濯(週2回)
・お仕事用専用デスク(自習室にて)*高速Wi-Fiあり
を無料で提供させていただきます。

 

やったーーーーー!!!

というわけで、留学行ってきます。

戦跡みたい、ダイビングしたい、ボランティアしたい。

楽しく留学するには、先ほど挙げた二つの不安要素、①猫、②専門学校の授業のやりくり、これをクリアしていかねばなりません。

先に不安要素を解消してから、何かを始めようと思うと、ずっと何もできないと思うので、とりあえず留学するって決める、そのあといろいろ考える、そういう「泥縄方式」で、前向きにやっていこうと思います。多分何とかなるし。

 

 

 

怒りの感情を恐れない

怒りの取り扱い方 たのしい生活

今朝、怒ってしまった

今朝、友達からちょっとしたからかいの言葉を言われて、

怒ってしまったので、そのことを書こうと思います。

 

彼は、私の過去の行動で、私自身が「失敗した、やらかした」と

苦々しく思うようなことを、あえて言葉にし、

繰り返し繰り返し「からかう」という人です。

毎回「もうその話でからかわないで」と不快さを伝えていたのですが、

あまり本気で私が嫌がっていることを理解していなかったのか、

今朝もそのことでからかってきました。

 

彼は、アーティストなのですが、憎めない面もあるので、

毎度嫌だなと思いつつも、

自分が苦痛にならない程度の距離感で付き合っています。

でも、今朝は朝ぼーっとしている時に、

突然メッセンジャーで

前置きなしにいきなりからかわれたので

反射的にキレてしまいました。

 

「なぜ、あなたはいつも人がいやがることをするんですか?

何度も、もうやめてと言っているのにやめないで、その都度私が激怒してしばらく連絡をとらない……ことを繰り返していると思いますが。なぜそうなんですか?

①私を軽んじている

②人が嫌がることをするのは得策ではないということを理解する能力にかけている

③軽んじてもおらず、理解する能力に欠けてもいないが、人が嫌がることをするのが好き

④辞めたいと思ってもやめられず、からかってしまうのは、チック症状のようなもので、周囲は諦めるべきだ。

どれですか?」

 

と聞きました。

で、彼に聞きながら、私自身も考えました。

嫌なことを言われたら、いやな気持ちになるのは当たり前のことです。

とくに、人に嘲笑されるためにからかいの言葉をぶつけられているのに、「なんか嬉しいなー」と喜んだり気持ちが良くなる人は普通はあまりいないと思います。

最近、思うのですが、怒りの感情が生まれる現象とは「生理現象」です。

人に自分を傷つけられることを言われて、不快になり、怒りを覚える。

それは、お酒が好きな人が、仕事の後のビールののどごしに快感を覚えるのと同じようなものと同じで生理的な感情です。風呂に入ったら気持ちがいいのと同じです。

生理的な感情や欲求は基本的にはコントロールは不能です。

食欲を最終的には絶対に抑えることができないのと同じです(もし、できたらそれは摂食障害等の精神的な問題を抱えていると言えると思います)。

 

だから、怒りを感じるのは当たり前の生理現象で、それは自分に許してあげようと思います。

でも、怒りを表現し、行動化する時。

「適切な怒りの表し方」に私はずっと苦労してきたんじゃないのかなと思いました。

というのも、私は怒りすぎてしまう、というのがあると思います。

今回も言う必要のない、罵倒やこき下ろしをしてしまいました。

具体的には

「たいして才能がないんだから、人柄ぐらい良くしないとダメなんじゃないの、芸術家としては」

とか、

「人が嫌だって言ってるのに繰り返しからかうとか、本質的に人の痛みに疎い人なんだから、多分、人に話を聞いたりする仕事には向いてないだろうね。やめたら、仕事」

とかです(彼はドキュメンタリー作品をつくったりしているので。一方でこれはホンネです。ただ、ホンネを言うと許されるということでもないと思っています。外見的欠点がある人に「あなたははげていますね」というのは、たしかに正しい発言かも知れませんが、決して人を思いやっている発言ではないからです)。

 

私は今朝どうしたらよかったのでしょうか?

 

苫米地英人さんのこの本を読んだことがきっかけで、

私は怒りを他人にわかるように表明するときに条件を設けているのですが、

①されたことで自分に不利益が生まれた時

②されたことが自分の予想外だった時

このふたつの条件がそろうときに、怒りを表明していいと決めています。

そして、怒りを表明する場合は感情をぶつけるのではなく、不利益のリカバーでなければならないはずです。

生理現象を生理現象のまま外に出しても、意味が無いからです。

 

怒りを表明してもいい条件を満たしていたか?

今回、私がされたことは怒りを表明しても良い条件を満たしていたでしょうか?

①はクリアしていると思います。朝の大事な時間を、過去の自分の失敗をあげつらわれて不愉快にさせられたからです。

②は微妙です。彼には前科があるからです。しかも何度もあるからです。

 

というわけで、怒りを表明していい条件は満たしていないと思います。

それは理解したのですが気持ちのやり場がまだありませんでした。

そこで、私は何か別の攻撃材料を探そうと頭のなかで記憶を探りました。

 

彼はとても口が軽いという欠点があり、

彼にだけ話していた私の人間関係上のことが他の人にいつのまにか広まってしまい、

その関係者が激怒して私を絶縁したことがありました。

この事を蒸し返してさらなる攻撃を加えようか思案しました。

でも、この案件は、よく考えると現象が2つの層に分かれています。

①彼がいいふらした

という現象と

②関係者Aさんが私を絶縁した

という現象です。

 

で、彼の口の軽さという欠点と、関係者Aさんの行動は本来別物です。関係者Aさんの行動の責任を、彼に押し付けることになってしまうのでこれで怒りを表明するのはお門違いだなと思いました。

つまり、Aさんが私と絶縁したい、と思ったのは、彼の「口の軽さ」は引き金にはなっていたでしょうが、真相はもっと前から私にムカついていたのかもしれず、あくまでも「きっかけ」にすぎないかもしれないですし、彼だけに責任が有るとはいえないからです。

 

そういうわけで、この件で彼に怒ることは筋違いだな、と彼と話していてなんとなく理解できました。

そこで、一旦やり取りを中断し、違うことをすることにしました。

判断力が落ちている起き抜けの朝の不意打ちのからかいは、私にとっても彼にとっても惨事を招くなと思いました。怒りを表現して彼を傷つける前に、ちょっと時間をおけばよかったと反省しました。これからはそうしようと思います。

怒ることそのものは自然のことです。喜怒哀楽のなかで、怒りだけを不当に抑えよう、コントロールしようと思うのは、どこか怒る自分を受け入れられないからなんじゃないかなと思います。怒っていいですし、怒る自分も自分だと受け入れた上で、「どう表現して、不利益をリカバーするか」適切な行動に出るための練習が必要だと感じました。

 

その上で、私は彼の人を傷つけて喜ぶ性格が好きにはなれないので、今後、突然朝連絡をしてくるような「馴れ馴れしい関係性」に線を引きたいと思いました。

 

 

 

私はこんなカウンセラーになりたい

 

漢字の読み書きや、つるかめ算のやり方は、習ったことがあるなら問題を解くことができます。

でも、自分の心がなぜこんなにうつろなのか? 鉛が流し込まれたように重たいのか? 怒りにとらわれてコントロールできないのか? 

自分の心の取り扱い方を習ったことがないなら、心のコントロールはできないし、自分がなぜこんなにつらいのか知らないのは当たり前のことだと思います。

 

人生をぶっつけ本番で生きてしまってそのつど、同じような失敗をして、人生そのものを失敗したように感じて、落ち込んでしまって仕方がない人に、自分の感情のままに行動に移してしまって後悔している人に、

 

自分の心は自分が上手に取り扱うことができること

そのためには、自分が過去に受けた傷に感情や行動が影響されてしまっていることを知ること、

そして自分を好きになること、

それを理解して実践するための手助けをしたい。

 

問題を解くのは私ではなく、自分で解けば、未来にも応用できる。

悩んでいる人が心の取り扱いかたを知り、自分で自分を助けることができる人になれる、そういう手助けができる人になりたいと思います。

 

絶世の美女ですら「完全な賞賛」は得られない

たのしい生活 たのしい豆知識 認知行動療法

すごい美人がパーティーにきたら 

認知行動療法をつくったデヴィッド・バーンズさんの本を読んでて、出てきた例で、ほーと思ったので書いておきます。

 

すごい美人の人がいるとします。

誰でもいいから想像してみてください。

私の場合はマリリン・モンローが大好きなので、彼女かな。

で、マリリン・モンローがパーティ会場にいたとします。

 

その時、どう思いますか?

私だったら「うわー、ゲロマブだ〜。やべえ〜ハアハア」ってなります。

 

で、ここから先がエクササイズです。

ほかに、どんなことを考える人がいるでしょうか?

「きれいだな、きっと気持ちも優しいひとなんだろうな」

と思う人もいると思います。

「本当に美人だな、うらやましい。人生イージーモードだろうな」

と思う人もいると思います。このあたりはもう、賞賛から妬みにはいってきてますよね。

で、

「美人だから、きっと自分なんかを相手にしてくれないだろう」が、「お高く止まりやがって」と、はじめから自分を拒絶することを想定して、だったら自分もとばかりに、マリリンを憎悪する人もいると思います。

というか、これは全部、私の中にある感情です。どれも並立しています。マリリンを見た時に、どれが引き出されるのか。それだけの違いです。そして、それってコントロールできるけど、反射的に出てきてしまう場合もあると思います。例えば生理前とかですね、あと借金の返済が近い時とかはおそらくマリリンを完全に賞賛しきれないかもしれない。逆に、上司に褒められたあととか、好きな人に告白してうまく行ったあととかは、良い反応が出るんじゃないかな。

 

生きていたら絶対だれかに反感を持たれる

ここからわかることは何でしょうか?

私は、

自分がどんな自分であっても、批判する人はいる。

ということがわかるなと、思いました。

ということはつまり、

私は私でいることそのものにはなんの問題もない。

問題があるとしたら、判断する人の側にある。

ということも言えると思います。

その人がどう思うかは、私にはコントロール出来ないからです。

 

なにか、自分が批判されるんじゃないか、否定されるんじゃないか、と恐れて一歩を踏み出せないとき。

どうせ、自分でいれば批判したり否定したりする人はかならずいるんだよな。

っていうことがわかってたら、何をやるのもあんまり人の目が、気にならなくなるんじゃないかなと思いました。

 

マリリンモンローでさえ、100%の賞賛は得られなかった。で、彼女はその「批判の声」だけを信じてしまって、現実にも不幸になったんじゃないかなと思います。

キリストでさえ、批判されてるんだもん。

みんな何してたってなんか言われるんですよ。

だったら、気にしても仕方ないですよね。そう思いませんか?

時間は未来から流れてきている。

たのしい生活 たのしい豆知識

 会社をやめます

今出ている「カルチャーブロス」という雑誌でのコラムと、ツイッターには書いたのですが、1月23日に退職届を提出したので、17年間勤めていた会社を辞めることになりました。

 

4月以降は、カウンセラーになるための勉強をするので、専門学校に通いながら学会にエントリーしてなんとか、勉強していきたいなと思っています。

できれば来年大学院受験をしたいと思っています。 

書くのは好きなので、作家業はつづけていくつもりです。

 

そういうわけなので、4月からは無職です。

40歳になる今年、晴れて無職。

 

もう、私はホワイトカラーでもブルーカラーでもない、

ノーカラー(無色=無職)。

 

思えば、2013年に双極性障害が劇症化してぶっ倒れて寝込んだことがきっかけで、自分のこころの問題に取り組むことになり、そして、今、今までの仕事とは全く違うことをするという、おおきな選択をしたわけで、人生どう転がっていくかなんてわからないものだなぁ、と思います。

 

私は離婚もしたので、ひとり暮らしです。

子供もおりません。

お金もさほど、ありません。

資格も(アマチュア無線技士の4級の免許以外)持ってません。

そして定収入もなくなります。

 

つまり、けっこう何もないわけです。

よくそういう決断ができたね、といわれるし、自分でもそう思います。

 

自分が仕事をやめる決断をした理由と、それができた理由をちょっと考えてみました。

 

仕事をやめる決断をした理由は、

やりたくないことを一秒もやらないで生きていきたい

と思ったからです。

サラリーマンとして定収入を得る以上自分を殺す必要がある。これは常識のように言われていますが、本当にそうでしょうか?

やりたいことだけをやって生きていくことはできないのでしょうか?

気分障害(うつ、躁鬱)にかかる人は、考え方を変えるか、環境を変えれば、治ると私は確信しているのですが、

私はまず、「考え方を変える」アプローチをして自分でカウンセリングを学び、認知行動療法の勉強をして、セルフカウンセリングをした結果、断薬に成功し、2年間、薬を飲まずにやってきています。

職場の環境も良く感じられ、周りの人ともうまくいくようになり、それなりに楽しい生活を送れるようにもなりました。

自分の変化を待ってくれるだけの余裕がある会社に入れたことには本当に感謝しています。

でも、「やりたくないことをする」ことの折り合いはつけないとならない。

ここを妥協しないでいるためには、環境を変えるしか、なかったわけです。

 

こう考えたら気楽にやめられた

仕事をやめられた理由。

・これは、あまり深く考えなかったことが良かったんだろうと思います。

やめて上手くいかない理由を見つけてしまうより、やめてしまってから考えたほうがいいなと。

で、仮にうまくいかなくても、飢え死にすることはないだろう。だって日本って、選ばなければなんでも仕事はあると思うんですよ。留学生なんてすごいじゃないですか、日本語マスターしてコンビニであんなに煩雑な業務をバリバリこなしてるわけで。日本人の私だって、選ばなければ絶対仕事はあるんですよ。だから、とりあえず食えなくなることはない、と。あとは自分の肩書がなくなったり、社会的信用がなくなったりすることを、私はどうでもいいって思ってたから、っていうのもあります。どう見られてもいいっていうか。

 

・時間は未来から流れてきていると考えること。

今が起点で、この延長線上に将来があると思うと、ダメな将来を想定することもできてしまうけれど、「うまくいっている未来」を設定して、その為に今時分が四苦八苦しているんだ、と思えば、今やってることがすごく意味のある「苦労」になるし、というか苦労とも感じないんだなということがなんとなく実感できました。

これは、最近アンリミテッドに大量にエントリーされている苫米地英人さんの本を片っ端から読んだ結果、こういう考え方に納得が行ったのですが、

時間は過去からきて未来につながっていくという考え方をしてもいいし、

未来から過去に時間が流れてきている、と考えてもいいわけです。

例えば私は精神疾患の病気になりましたが、今、四苦八苦して模索した結果、ほとんど寛解したと言っていいと思います。

精神疾患だったときに「寛解している自分(未来)」を信じることができていたら、病気の苦しみも意味があるわけです。で、私はどこか自分で心の取り扱い方を勉強できた、しようとおもったのは「ぜったい何とかなる」と、信じていたからだと思うんです。
逆に、精神疾患を「過去にやってきたことの結果(罰)」として考えていたらどうでしょう? すごく絶望的な気持ちになるし、自分の状態を自分でコントロールすることは無理だとあきらめてしまうような気がします。これが、過去から今につながっていくという時間の捉え方です。

私は、「未来」から「過去」という、時間の考え方を、どこかで無意識にしていたんだろうと思います。

 

・夢を持つ

現状の延長上に夢を持つのではなく、今から度外れた夢を持つのがいいのかもしれないです。

それはお金が稼ぎたいとかっていうよりもう少し高次元のものがいいのかなと思います。

私の場合は、すべての偏見や差別がなくなる社会を作りたいということと、皆が好きなことをして生きて行けるような社会を作りたい(心の不調はこれで治ると思っている)ということがあります。

そこからブレイクダウンした結果、職業としての夢が出てきました。

私の場合はカウンセラーになる、っていうことがそれです。

あとは、こういう形で何かを書いて人に役立つことをシェアしたいということです。

それで、カウンセラーとして、また物書きとしてうまくいっている自分をイメージする。その未来が起点であり、今の自分はそこに向かって行っているんだ、と考えるようにしました。

 

そういうわけで、無色になるけどあんまり不安ではありません。

お金はしばらく持ち出しになると思いますが、今はお金の勉強をする時期なんだと考えています。節約とかですね。

 

おしらせ

富田克也監督作品『バンコクナイツ』の上映後のトークに出ます。

すごくいい映画なので、よかったら見に来てください。

テアトル新宿で22日です。

 

www.bangkok-nites.asia

2011.3.21石巻の自由の女神。

3.11

 3月21日。

 盛岡を昼前に出発して宮城県石巻市に移り、取材を始めた頃はすでに夕刻だった。震災後はじめての宮城県だった。

 病院や役場の取材をしているうちにiPhone3のバッテリーがきれてしまい、わたしは同行していた記者の男性とはぐれてしまった。

 日が暮れて、視界がきかない。首から下げているLEDライトをつけて歩いた。 

 だれもいない。自動車や電柱、商店のシャッター、漁船が津波に揉まれて地上にたたきつけられている。その瓦礫を路肩にどかしてようやく車線が通ったばかりの商店街を歩いて、開いている店がないか探した。あるわけがなかったのだが。

 商店街のアーケードの下に、石ノ森章太郎のキャラクターたちの等身大フィギュアが点々と設置されていた。他のすべてがなぎ倒されているのに、彼らだけはなぜかみな無事で、気合の入った目で虚空を睨んでいた

 被災地はどこも海のそばなのだが、町ごとに違うにおいがする。住んでいる人と暮らしが違うからだろう。

 本当なら他人に見せることのない押入れのなかや、秘密の小箱、昔の恋人の写真を挟んだ古いアルバム、思い出の本、そういうものがすべて津波によってさらけ出され、波と泥にめちゃくちゃに攪拌される。その時に発生するにおい。

 釜石は、なんというか、おばあちゃんが住んでいる古い民家のような、温かい排便臭のようなものを含んだにおいがした。

 石巻は、養分が豊富な泥の匂いというか、金属的なにおい、もっと勇壮な、海の男を想起させるにおいがする。

 

 「被災地」では、ソフトバンクの回線は全くあてにならなかった。わたしのiPhone 4は、電波を拾うために普段以上に電池を消耗して、朝8時にはフル充電されていたものが昼前には充電が切れてしまう。そのため、車の中では常に充電し続けていたのだが、車から降りて一人で取材を始めると、またあっという間に電池が切れてしまうのだった。乾電池式の充電器は気まぐれで、接触が良くないときは全く役に立たない。

 震災1週間前には、スティーブ・ジョブスがiPad2発売のプレゼンをしたのが話題になった。孫正義もそのプレゼンの場に参加していたらしい。興奮した様子でiPad2のすばらしさをtwitterで伝えていた。

 地震が起こるまで、東京ではiPhoneに不便をまったく感じなかった。そのまま他社携帯の新規契約も衛星電話のレンタルも考えないまま、東北に行ってしまった。

 NTTは、各自治体の災害対策本部に無料で使える衛星公衆電話をいち早く設置していた。加えて被災者が自由に利用できるように、すべての携帯キャリアの充電器も用意していた。ところがそこにはiPhone用のものがなかった。東北ではiPhoneの普及率が低いのだろう、と理解した。

 ソフトバンクの被災地での動きは見えづらかった。

 東京では孫正義が「原発依存をやめ、ソーラー発電施設を作る」とぶちあげていたが…。

 ソフトバンクのロゴをつけた車を一度も見なかった。孫正義が公約していた「公衆iPad」を設置している場所も自分が取材した釜石や宮古、盛岡や仙台になかった。

「御託はいいから流されたアンテナ、早く直してくれよ」

 と、毒づきながら歩いた。石巻のアンテナ状況は、震災数日後に石巻専修大学を拠点にボランティアをしている団体がTwitterで孫に直接掛けあい、携帯電話400台、iPad10台の提供を受けていた影響か、市街地の電波は割と入ってきていた。だが、津波の被害のひどかった門脇地区や商店街ではやはり電波が入らない。

 孫正義が、個人資産100億円と、引退までのソフトバンクからの全報酬を寄付すると宣言したのは4月3日のことだが、それよりもなによりも電話に電波がとどかなければここでは何もできない。

 わたしは車が運転できないので、同行の記者に電話をして、彼の運転する車に辿りつけなければ、宿泊予定の仙台には行けず、ここで夜明かししなければならない。

 震災後10 日も経っていない石巻にホテルなどあるわけがない。

 いざとなったら、駅前にある災害対策本部で、NTT が設置した衛星電話を借りるしかないか。しかしそれは被災者用のものであり、本当は取材者は使ってはいけないものだ。

 宮古や釜石ではソフトバンクの電波がほぼ全域で圏外だった。電波が全域で復旧するのは4月に入ってからのことだったので、震災2週目からソフトバンクのiPhone4一本で取材に入ってしまい、電波難民となったわたしはやむを得ず、頼み込んだり(まったく断られなかった)、被災者を装ったりして衛星公衆電話を使って編集部に状況報告をした。

 余震が続いていたので、市役所などのビルの上で津波警報が発令されると、警報が解除されるまでビルから降りられない。その間、新聞記者はみな衛星電話を使って連絡をしたり記事を送ったりしていた。わたしはただじっと黙って座っているしかなかった。

 今から考えると、運転免許も持たず、ソフトバンクの携帯だけで、よく無事だったなと思うほかない。

 宮城県警は震災後数日で、津波で紛失した人のために運転免許証を携行せずとも自動車の運転をしてもよいという通達を出したが、わたしはハンドルそのものを握ったことすらなかった。

 

 自由の女神が遠くに見えた。何かの間違いかと思って二度見た。やはり自由の女神だった。後日、藤原新也さんが、AERAのグラビアでこの自由の女神を撮った作品を載せていた。パチンコ屋の屋上の飾りだという。ポリカーボネイト(うろ覚え)製で、魚網のようなものが絡まっていて、像の足元は割れていた。グラビアを見て「さすがだ」と思ったと同時に、「なぜわたしは撮らなかったのだろう」とも思った。コンパクトカメラも持っていたはずなのに。それで今思い出した。わたしはリコー製品の愛用者で、初代機からGRDユーザだった。ところが、持ち込んだGRD3は釜石の細かすぎる砂塵にやられて、壊れてしまっていたのだ。

 商店街から歩いてだいぶ離れてしまい、とにかく明かりのある方に歩いた。

 時折通る車のライトが周囲の状況をよりはっきりと教えてくれる。

 目の前の橋が落ちていて、両路肩にスプレー缶で「◯」「」と生存者を確認する符丁が赤いスプレーで殴り書きされている車が折り重なっているのを見たときの絶望感といったらなかった。

 

 避難所となっていた門脇中学にたどり着いた頃にはあたりは真っ暗だった。

 避難所の外に犬が二匹つながれているのを見た時に、そういえばこれまで見てきた避難所にはペットがいなかったということに思い当たった。みな、泣く泣くペットを手放してきたのだろう、ということにその時に気がついた。東京の人にこれができるだろうか。

「ここは、ソフトバンクは電波入ります?」

 自警団の青年に聞いた。

「場所によるけど、この体育館はだいたい入りますよ」

 ほっとした。わたしはそこで携帯を充電させて欲しいと頼んだ。

「いいですが、あと20分ぐらいで21時になるので、その時間には玄関をしめてしまいます」

「ありがとうございます。助かります」

「でも、連絡つかなかったらどうするの?」

「歩いてとりあえず駅までいってタクシーがいれば拾って彼の取材していそうなところに行くつもりです。さっきタクシーが走っているのを遠くで見たので」

「土地勘ある?」

「ないです」

「停電してるし橋落ちてるし、辿りつけないよ、こんな時に間違って海の方にでて、また津波がきたら死ぬよ。今日はここに泊まっていったほうがいい。急いでいるの?」

「いや…」

「食事は?」

「大丈夫です」

 食べていなかったが、充電させてもらっているのに食事までありついてしまったら、わたしは取材できたのか人の迷惑になりにきたのかわからないと思った。

 それに、ワンブロック先には、避難できない人たちが住んでいることをわたしは石巻での短時間の取材で聞いていた。

 避難所にはそれなりに食べ物も水もある。電気もある。だが、建物が壊れていない家の住人は、避難所に入ることができない。枯渇している日用品や食料は自力で調達しなければならなかった。

 携帯の充電がすこしできた段階で、編集部に電話をかけた。デスクたちは次々に電話を替わり、わたしが取材した内容に基づいた記事のゲラの疑問点を聞いてきた。わたしはメモを見ながら死亡者数や仮土葬を行う地名などをその場で確認していった。

 10時の消灯時間となっても同僚とは連絡がつかなかった。

 寒い。

 自警団の青年は私のことを忘れないでいてくれ、玄関に様子を見に来てくれた。そして、真っ暗な避難所の中に手招きしてくれた。

 自警団は二人組で、体育館の壇上に一晩中すわっているのだという。わたしも壇上で隣に座らせてもらった。自分たちと同じ座布団を出してくれただけでなく、「冷えるから」と、下に銀マットまで敷いてくれた。

 壇上から見える避難者の人たちの暗い影はまるで、夜の水田のようだった。あぜ道のような細い通路が暗闇に浮かんでいる。田の字に区切られたスペースには間仕切りもなく、プライバシーもない。実に整然と、淡々と暮らしている。

 わたしは、あちこちで静かに寝息があがる体育館を眺めていた。

731部隊罪証陳列館を見に行った。

旅行 中国 ハルビン ジェノサイド

日本が中国人の「マルタ」で人体実験を行っていた施設

 

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中国の黒龍江省の省都・ハルビン郊外にある731部隊の跡地に行ってきました。

入場無料です。

2014年に中国が大規模なアーカイブ施設を作っているので、見応えがありました。

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ざっと走り書きですが感想を置いておきます。

ドイツは侵略者側であり敗戦国だけど歴史アーカイブをちゃんとしている。町のどこにいっても、ここに何があった、とか、どんなことが行われた、とか、何の跡地であるとか、プレートが打ってある。中国は前の戦争では侵略された側で、経済的に豊かになってきた今、かなり大規模な歴史アーカイブ施設を全国に作っている。日本で言うところのバブル景気頃に大流行した、市町村史の編纂ブームみたいなものだろうか。しかし規模が違いすぎる。
ドイツが先進国であり文化的にも進歩的な国だというのは誰も疑わないだろう。中国に関しても異論はあっても、これからGDP1位になる先進国になるだろう。
そういうときに、歴史アーカイブが持つ意味ってなんだろうかっておもう。単に同族意識とか愛国心とかではなく、ここで何があったのか、自分たちはどういう人達なのかをわかる必要をいずれ生きていると感じる時が来るはずだ。
同行したIくんが教えてくれたけど、中国は古来よりずーっと国史を書き継いでおり、いまは清国の歴史を記録中。
日本は国史を作っていたが遣唐使をやめて国風文化になったあたりから国史を書くのをやめてしまったそうだ。
日本は東京の空襲についての資料館すらない。
広島の原爆資料館は一応あるけど、見世物小屋みたいなノリで作ってるので知性的ではないと思った。

 

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731部隊罪証陳列館は、石井四郎が提供した圧倒的な量のドキュメントが保存されており、これを時系列順に並べるだけでぐうの音もでないぐらいの圧倒的な施設になっていた。

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南京も、アウシュビッツも見たが(他の施設もいろいろ見ているが、例として2つ名前を出した)、証言はあれど証拠が弱いところがあるので、そこはどうしても知性が必要になると思う。政治的アジテーションに流されない、見世物にならないための、歴史の施設を創るのは案外難しい。

 

731部隊を率いた石井四郎の得体の知れなさ

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ちなみに731部隊をつくった石井四郎に抱いた感想。
やたら政治力のある頭がおかしい人、という印象だった。
ものすごい研究費引っ張ってきて、たいして実戦的成果を上げてなくて、人体実験しまくって、戦後は資料全部アメリカに提供して部隊の人たち全員を免責させた石井四郎。やってることはマジでえげつない。中国からしたら完全にやり逃げされたも同然なので、怒りを覚えるのは当然だろう、そう思わざるを得ない、石井四郎の所業が整然と陳列されていた。


考えこんでしまった。ナイフを創る人なら絶対に切りたくなる。拳銃が好きで集めている人なら撃ちたくなる。この人の場合は、人で実験したい。それだけが動機だったんじゃないかと思ってしまう。従事者300人も殉職させているが、資料を焼かずに持ち帰って取引材料として米国に渡すのは、おそらく日本国からも迷惑だろう。どこの立場にも立っていない人という感じがした。
南京でも、アウシュビッツでも、ここまで交渉力があるトップはいなかったってことだから、ある意味すごいと思う石井四郎。あと、戦後はほとんど社会的に死んでるので、本人も死後の世界を生きてるような気持ちでいたんだろうなと思います。
ちなみに石井四郎は、別に戦犯逃れをしたかったわけじゃないんじゃないかと思う。10年間の研究成果を守りたかった動機の方が強かったんじゃないか。日本に忠誠を誓うなら、ボイラー室を爆破した時点ですべてのカルテも燃やすはずだから。部隊員全員を免責させたのは同士愛ゆえではないように思った。

 

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女性隊員だった郡司陽子さん。彼女の証言が本になってますが、相当なことをやってます。

復刊してほしい。