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自分の地図をつくろう

新しい場所に出かけて楽しい経験をしよう

治癒することと復興すること

病気や災害をどうとらえるか

 

精神科医院に通っていた時に、よくお医者さんに言われたのは

「必ず昔の元気な岡さんに戻りますからね」

っていうことでした。

励ましてくれているつもりだったんだと思います。

 

でも、私はおそらく病気の症状が出始めたのが、十代頃だったと思うので、ずーっと不安定なままで生きてきたので「元の元気な自分」がどんな自分なのか、全然記憶に無いんですよ。

一方でそのお医者さんが私に言い渡していたのは「薬を半永久的に飲み続けないといけない、なぜなら、双極性障害は再発リスクが高いうえに、躁状態の時に病識(自分が病気だという自覚)がない場合があるので、それを抑えるため」……という説明でした。

 

ということは、「薬」を飲んでいない頃の「元の自分」には戻れないってことじゃん? 

って思って、なんか、モヤモヤした記憶があります。

 

でまあ、いろいろあって認知行動療法を自力で学んで薬をのむのをやめました。

その際はお医者さんに相談してやめました。

やめてもう丸2年が経過します。

そして、認知行動療法の学会に入りたいので、入会資格である関連資格を取りたいということと、精神疾患(特に気分障害)そのものをお医者さんに治してもらうのではなく自力で向き合っていく方法を模索したい、その上で福祉のサポートは絶対に必要だから知識をつけたいということで、専門学校に入りました。

いま、精神保健福祉士の養成校にかよって2ヶ月になります。

 

昨日、精神保健福祉の理論と相談援助の展開という科目の授業で、面白い話をしていました。

それは「リハビリテーション」と「リカバリー」の違いについてです。

リハビリテーションはもともと、ジャンヌ・ダルクの時代に遡るのですが、名誉回復の意味で使われています。何らかの理由で社会的立場が奪われた人たちが、その立場を回復する、回復した状態を「リハビリテーション」と呼んでいました。それが、時代がくだるにつれ、刑事罰を受けたひとが社会に復帰するときのことをリハビリテーションと呼ぶようになり、現在では、障害を持つひとが日常生活にもう一度適応するための様々な訓練のことを「リハビリテーション」と呼ぶようになっています。

つまり、語源からして、リハビリテーションというのは、「善とされる基準に合わない人たちが、できるだけ基準に近くなれるようにがんばる」という感じのものなのです。

 

でもこれって本当にそうなの? 幸せなの? っていうのが昨日の授業の主題でした。

その中で紹介されたのが、上田敏さんというリハビリテーション学の偉い先生の本『リハビリテーションの思想ーー人間復権の医療を求めて』(2004)でした。

序章で「リハビリテーションとは、『人間らしく生きる権利の回復』すなわち『全人間的復権』であり、過去の生活への復帰であるよりもむしろ『新しい人生の想像』なのだ」と述べられています。

これはリカバリーの理念に通じるもの……と先生が説明してくれました。

リカバリーとさっき出てきたリハビリテーションってどう違うの? 全然わからなかったのでネットで調べてみました。

それによるとリカバリーとは、

「リカバリー」とは、病気や障害による様々な規制を自ら乗り越えて、自分の人生を充実、希望に満ちた生活をすることであります。また、病気や障害によって失われた家族や友人等を含めた人間関係を取り戻し、生活する地域の中で社会関係を再構築していくことです。

福祉用語の基礎知識

 

「乗り越えていく」ための考え方

これを読んだ時私はハッとしました。

それは自分の病気についての捉え方だけではなく、発災後ずっとやってきた東日本大震災の取材を通じて考えていたことに答えが与えられている感じがしたからです。

 

あの時、震災復興についての定義を誰もしないまま「がんばろう」「復興」「取り戻す」という曖昧な用語をそれぞれに解釈して向かっていったことを私は思い出しました。

でも、それは「現況復帰」「元に戻す」つまり「リハビリテーション」の意味で「復興」という言葉を使っていたのではないかな、と思うのです。

だから、震災においては元にはもう戻らない、という合意は今もできていないのではないかしら、と。

でも、冷静に考えてみるまでもなく、もう元には戻るわけがないんですよね。でもそれを表立っては誰も言えない。

明白なことだが、障害や災害を被害や欠損と捉えるならそれを元に戻したい気持ちになるだろう。

 

でも、震災や障害を、人生の時間の流れの中で起こるひとつの変化として捉えたら、別のことができたと思う。そうしたら、戻らなくても幸せになることはできるし、その方法を考えることができる。乗り越えることができる。

 

例えば、津波を被害と捉えると、あのような防潮堤ができます。

確かに津波からの被害はかなり軽減できるでしょう。その代わり、この先少なくとも百年にわたって「海が見える景色」が失われます。

もちろん多くの人達の生命が失われ、その生命への想像力をなくせと言っているわけではないのです。

ただ、震災の傷からリカバリーをする、って高い防潮堤を作ることなのかな? 本当にそうなのかな、って思うんです。

 

 私自身、病気になってみて、時間は過ぎていっているというその一点だけでももう元には戻れないのです。そこをはっきり自覚することがもっと早い段階で出来ていたら、「病気を持っている私」というキャラクターでどうやって世の中渡っていくか、ということをもっと早い段階で考える事ができたかもしれないなと思いました。

 

つらい経験を乗り越えて、そしてそれでも手元に残った持ち物ものを使う。持っているものをみんなが使いやすくする、そういうことってもっとできないのかなって思いました。 

 

『境界の町で』プロローグ全文公開

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2014年4月に出版した『境界の町で』のプロローグ部分を2回に分けて公開します。

 

「プロローグ 漂う」 

 震災が起きてからずっと、私は人を探していた。 

 私の住む東京には津波はこなかったし、自分の身の回りの安否確認はすぐに取れた。というか、私自身は夫と別居中だったし、家族とは絶縁していた。だから私は誰からも心配されなかったし、誰からも探してもらえなかった。私は私で、誰のことも本心から心配せず、探すこともなかった。

 私という人間は、誰からも必要とされていない、誰も必要としていない。それは震災で浮き彫りになった。

 自分にとって愕然とするような発見だったが、

「私には、大切な人がいないんです」

 ということを言える雰囲気ではなかった。そんなことは巨大地震の前では、33歳の女の取るに足らない悩みでしかなかったから。

 東北では、2011年の3月11日の夕刻から、途方もない規模での「人探し」が始まっていた。家族や恋人が、それぞれに「本当に大切な人」を探す時間が始まったのだった。

 その日の午後2時46分、私は勤務先の週刊誌編集部で資料をコピーしていた。マグニチュードが修正されるたびに数値が上がり、結局マグニチュード9.0という未曽有の数字となったその揺れは、2分以上も続いた。

 昭和30年代に建てられたこの建物はきっと崩れるに違いないし、私はこのビルの下敷きになって死ぬに違いないと感じるほどの揺れは、生まれて初めてだった。

 立っているのも困難なほどの揺れの中で、私はコピーを投げ捨て、這って会議用の大机の下に潜り込んだ。同じ机に潜り込んだ若い女性編集部員は、泣いていた。

 最初の揺れが収まると皆の取材予定はすべて変更になった。余震が続く中で、男性編集部員はカメラマンとともに車やバイクに分乗して東北に向かった。

 NHKは、3時過ぎには名取市上空から津波の映像を空撮で中継し始めた。名取市閖上、という地名をはじめて知ったのはこの時だ。東北の沿岸部で起こっていることが次々と、しかし全貌がつかめないままただ映しだされるテレビから、私は体を離せなくなっていた。NHKが報じる各地の被災情報にまぎれて、すでに他界した母の故郷である宮城県多賀城市も津波でやられたことを知った。そして、海のそばで眠る先祖の墓はきっと流されただろうと思った。

 私は上司からの指示を受け、電動自転車で東京の被災状況を見て回ることになった。

  会社を出ると目の前の道路は車で埋まり、動く気配がなかった。自転車にまたがり、スイッチをオンにして歩道に滑り出る。都心部を目指すために外堀通りを走った。

 四谷の自転車販売店の店頭からは商品が全て売り切れになり、都心のコンビニの棚からは食べ物が消えていた。首都圏から郊外へ向かう電車は運休になり、築地本願寺や港区御成門小学校には帰宅困難者のための避難所ができた。東京タワーのアンテナは地震の影響で大きく曲がっていた。

 その晩、東京の道という道は汚水をたたえた溝のように、車列がゆっくりとしたスピードでが流れては止まった。深夜までずっとこんな様子だった。歩道にも人が溢れた。大切な人に会うために、徒歩ででも家に帰りたい人たちの群れだった。

 

 電話はつながらなかったがメールは通じた。ひと通り都心部の様子を見て回った私は、その晩の東京の様子を上司に送信した。

 仕事を終えた私の自転車は銀座に向かった。

 2005年の冬に私を捨てた男にでも会おうと思ったからだ。

 

※※

 

 私を捨てた39歳のこの男は母ひとり子ひとりの家庭で育った。鑑別所に送られそうになった中学3年生の時、雪ふかい地方にたったひとりで移り住み、高校に3年間通った。鑑別所行きを避けたかった母親が手を回したのだった。「でもそこは鑑別所みたいな高校だったから。全国から俺みたいなのが集まってくるんだけど、悪いやつの中に入れば悪いやつの仲間になれるわけじゃなくて、もっと悪いやつからハンパなくいじめられるだけだからね」と、彼は教えてくれた。暴走族にも入らず、卒業後は同級生たちのようにヤクザにもならなかった。18歳からバーテンダーになり、その他の世界を知らない。その男のことが私は好きだった。

 2005年の夏のある日、私は男の部屋で裸で毛布にくるまり、携帯をいじっていた。寝返りを打った時に、ベッドと壁の隙間に携帯を落としてしまった。

 拾おうとして手を差し込むと指に紙袋の感触が伝わってきた。思わずつかんで引きあげる。くしゃくしゃの封筒。中を見ると5センチほどの一万円札の束が、1センチごとに輪ゴムで束ねて入れてあった。

 封筒の中から出した5冊の1万円札の束を眺めていると、ドアが開く音がして、男が入ってきた。

 クーラーをかけても暑い7畳間はタバコの匂いで淀み、壁紙は黄ばんでいた。

 背が高く、痩せていて、バスタオルを腰に巻いただけの男は、一重まぶたの目をこちらに向けた。私は封筒を握ったままだった。男の目を見て、それは店の売上を少しずつ抜いて貯めた金なのだと悟った。

 帳簿に残らない金だ。私がバッグに入れて持ち去っても、男は被害届けを出すことはできない。

 男は、私の様子を黙って見ていた。私はなにも言わずに札束をベッドの隙間に戻した。

 次の晩から、私はベッドの隙間に手を入れるようになった。金の置き場所が変わっているかを確認するためだ。手を差しこむたびにくしゃくしゃの封筒に触れることができた。狭いワンルームのベッドと壁の隙間に金を貯め、ひとりで銀座に店を張っていたその男に、私は信用されているのだと嬉しかった。

 2005年の冬に32歳だったその男は他に女を作り、27歳の私を捨てた。私にとっては、それがはじめて男に捨てられた経験だった。別れ際、私は男を殴ったと思う。

 自転車をこぎながら、私は、私と男の間にまだ「絆」があるならば、男も私に会いたいだろう、そんなことを考えていた。

(つづく。来週金曜日に、後半部分を公開します)

 

 

『境界の町で』について

 本書は著者の岡映里が、2011年4月より原発事故の起きた福島県の町を訪れ、原発作業員の35歳の元やくざの男との出会いをきっかけにして始まった、3年に及ぶ密着ドキュメンタリーである。当時33歳の岡は、夫と別居中であり精神的なうつ状態を抱えていた。強い希死念慮に悩まされながらも「ただ死ぬのではなくジャーナリストとしての仕事をしたい」と福島に飛び込んでいく。当時の福島は放射能を恐れて大手メディアはもちろん警察すら退避をした場所であり、「死にたい」ほどに自棄になっていた岡にとって、自分の命を顧みずに現場復旧にあたる若い労働者たちを目の当たりにして衝撃を受ける。そして、作業員の男との淡い恋愛や、その後の男の父親の選挙への立候補を経て、原発のある町で生きる人々が、原発を簡単に拒絶できない事情や、他の地域からの差別的な目線、そしてたった3年でも忘れ去られ風化が進んでしまう時間の手触りについての実感をつかみとっていく内容となっている。(翻訳者向けのプロポーザルに書いた概要より抜粋)

 

www.littlemore.co.jp

 

 

『境界の町で』のツイッターアカウントを開設しました。作品の中身をマイペースで紹介していきます。よかったらフォローしてくださいね。

twitter.com

ではまた次の金曜日に。

「何をしても長続きしない」と悩んでいる人に会った

先日、「何事も長続きしなくて、今度はメイクの学校に通いたいと思ってるんですけど、どうせ続かないかもなーって思ってるんですよね」って悩んでる若い女性にあいました。

別に助言を求められたわけじゃないんですが、「長続きをしない」って、そんなに悪いことなんでしょうか? と私は思っているのでそのことをちょっと書いておこうと思います。

 

まず、長続きしない理由は何かっていったら、

「自分に向いてない」

ってことだと思うんです。

 

じゃあ逆に、「自分に向いている」ってどんな状態ですか、っていうのは、

「人に呆れられてもずーっとやってる」っていうぐらい、

そのことに興味が持続し、すごく好き、っていうことだと思うんです。

 

人によっては勉強がそうだったりしますよね。

私の場合は高校2年生までの数学がそれでした。

もう、いくらでも数学の問題解いてたいわけです。

でも、はたからみたら、「勉強頑張ってるなー」って思われるんです。

頑張ってるつもりはないんです、好きだからずっとやってたいっていうだけなんですよ。

まあ、高3になって微分・積分あたりからついていけなくなって、数学はやらなくなり、宇宙物理学を専攻してロケット飛ばしたいとか言ってたのですが、あっさり「学芸員になる」とかいって、文系に変更したのですが。

 

で、勉強が好きでハマってる子だと「えらいね」ってなるけど

ずっと漫画読んでるとかだと「漫画ばっかり読むのやめなさい」とか、

ゲーム大好きだと「ゲームはもう1時間までにしなさい」って言われるじゃないですか。

でも、大事なのはハマれる対象を持つことができるってことだと思うんですよ。

何かをすごく好きになれると、それを起点にして、世界が広がると思うんです。

私が数学と同じく好きだったのは現代美術で、特にクリスチャン・ボルタンスキーが好きなんですけど、

ボルタンスキーがどういうアーティストなのかを調べていったおかげで、同時代のアーティストの情報とか、現代美術史を俯瞰して覚えることができたりとか、あとはナチス時代について少し知ることができたりとか、美術の雑誌に書かせてもらってそれがきっかけで編集者の人にいろいろ教えてもらう機会ができたりとか、知識だけでなく人間関係も広がりました。

だから、ハマれるものがあったら、そこにハマっちゃえばいいんだと思います。

で、これは親とか世間が「こういうのにハマると望ましい」っていう意見とは全く自分の性質は関係ないので、「人間というものはえてして親や世間が望まないものにハマるものである」、そう思っておくとラクでしょう。

 

で、じゃあ、続かないことに悩んでる場合

「こういうものにハマれたらかっこいいな」っていう動機で何かを初めてることが多いんだと思います。

だから、続かない自分を「かっこわるい」とか自己否定しちゃう。

勉強だって習い事だって、所詮ただの暇つぶしだもん、自己否定の材料に使うの、辞めませんか?

それよりも途中までやってみて「ここまではできた、やってみたけどこういうことがわかった」っていう情報があると思うんですよ。それを見てきた経験が大事だとおもうんだよね。

 

「長続きしない」のは、向いてなくて好きじゃなかったから。

好きなものを見つけるために次に行く。どんどんやって、どんどん向いてないのがわかって、それでどんどん飽きてやめてしまえ。

エジソンさんが、電球のフィラメントを探す時に何万回も素材を集めてはテストして失敗したけど、ついに竹を使うことでフィラメントの輝度を上げ長持ちをさせることに成功しました。その時に言ったあまりにも有名なセリフ

「私は失敗したのではない、1万回のうまくいかない方法を見つけただけだ」

 

まあ、これを借りてくるといいですよ。

「向いてない事がわかったので、向いているものを探す事ができる」

 

別に高校だって大学だって行かなくていいですよ。行かなくたってお金稼いでる人たくさんいるし、あと途中から勉強したくなることだって出来るんです。

向いていないことを無理やりやって自分ダメだ、自分はできないんだ、って、やる気までそいじゃうのはぜひともやめて欲しいと思いました。

 

 

この人は映画監督のマーティン・スコセッシの最初の奥さんで、ご本人も脚本家なのですが、それよりも疲弊して創作活動が止まってしまったアーティストを再生させることがすごく得意だということがわかってそのアーティスト再生プログラムを方法論化したのがこの本です。

アーティストに別になりたくない人でも、すごく有効だと思うので読んでみるのをおすすめします。

『助けて! 神様仏様』第二回公開されました

バツイチ無職の作家岡映里が、お悩み人に神仏を紹介する神仏コンシェルジュの企画第二回が公開されました。

www.gentosha.jp

 

 まず、恋人と出会うためには、どういう人と出会いたいのかを、明確にする必要があります。

「年収600万円ぐらい」「身長は自分より15センチ以上高い人、できたら170センチ以上」「学歴はMARCH以上」とか、なんでもいいので紙か何かに書きだしてみましょう。

 書いたら、少し時間をおいて「理想のお相手」リストを冷静に見なおしてみてください。

 すると、「あなた何様ですか?」「ババア、ちょっと自分の顔鏡で見てこいよ」などと、自分の脳内に住んでいる「世間」がいろんな声を上げてくると思います。

 この時、「そうですよね、身の程知らずですみませんでした」と思ってしまうと、あなたは理想の恋人にも結婚相手にも出会えません。身の程を知って慎ましく謙虚に世間体を気にしたままのあなただと、本当に好きな人には出会えません。これまでこの事実を、誰も教えてくれなかったかもしれませんが、実はそうなのです。(本文より)

 続きは幻冬舎Plusのwebで!(これ書いてみたかった)

 

【先行公開】『自分を好きになろう』まえがき

6月15日発売の新著『自分を好きになろう』の前書きの部分をアップします。

 

 

 心が不安定に揺れ、怒りの感情をコントロールできなかった時。

 精神疾患の症状を抑える薬を飲んで、感情が消えてしまった時。

 不仲の両親のことを考えると、決まって心が凍ったようになってしまった時。

「ないがしろにされている」と思い込んで、友達の輪から離れ自分の殻に閉じこもってしまった時。

 

 私は、自分の心が、なぜ、そうなってしまうのか、その原因やきっかけが全くわかりませんでした。

 長く続いた抑うつ状態も、「これは自分の運命で、自分にはどうにも変えることができない」と諦めていました。

 

 でも、結論から言えば、それは「心の地図」を持っていない状態で、心を彷徨わせていただけだったのです。

 だから私は、自分がどんな人間なのかを知り、何に傷ついてきたのか、その結果どういう行動をとりがちなのか、自分の心を観察しはじめました。

 そのおかげで自分の「心の地図」を持つことができるようになりました。毎日を軽やかに楽しめるようになりました。

 

 心の地図には、両親から受けた心の傷や、心の病を患った事実が記されています。

 これは、「私の心の地図」のふたつの大きな要素でした。

 ここを基点として、どういう時に気持ちが不安定になってしまうのか、悲しくなるのか、その原因を探り、ひとつひとつ地図に書き入れていきました。

 詳細な地図ができあがるにつれ、自分が不安定になる可能性のある対人関係は避ける事ができるようになりましたし、自分を楽しませることも積極的にできるようになりました。

 

 自分だけの地図に、自分の持っている要素を書き入れるには、自ら行動する必要があります。

 はじめは掃除から。そして服装を変え、言葉遣いを変えました。

 今までの自分ならやらないことをしてみた結果、自分は過去にどんな考えにとらわれていたのかを、際立って理解できるようになりました。頑固なまでの「ネガティブ思考」や「怒りやすさ」が生まれる原因やきっかけがわかりました。行動を変えることで、考え方も激変したのです。

 そして今では、自分を楽しませ、自分をもっと幸せな環境に置くために、部屋をキレイに保つようになり、ついには健康増進や体力づくり、そして美容のために筋トレを始めるまでになりました。

 

 自分を知り、自分で自分の機嫌をとり、自分の心を落ち着かせていく方法を体得していく。その中で、抑うつ状態が改善し、毎日がごきげんになっていく、私が実際に効果を実感した「7つのスイッチ」をまとめました。

 

 私は今年、40歳になります。

 自分の地図を持ち、毎日をごきげんに変えたこの1年半あまりが、人生で最も楽しい変化のあった期間だ、と今振り返ってみてそう思います。

 もし、今、ひとりの部屋で抑うつ状態に苦しんでいる方がいたら、ぜひ、読むだけでも読んでみてください。そしてもし、この本に書かれていることを試してみようと思ってもらえたなら、それは私にとってこの上ない幸せです。

 

 この本は、私のブログ『筋トレをしろ。うつが治るから』を読んだ、KADOKAWAの編集者・間有希さんが誘ってくれたことがきっかけで、出版されることになりました。

 そして、「この本の漫画は私にしか描けない」と言い切ってくださり、多忙な中、素晴らしい漫画を作り上げてくださったのは、瀧波ユカリさんです。

 おふたりに改めて感謝します。

 

・・・・・・・

来週月曜日に第一章の本文をブログで先行公開します。よかったら覗いてみてくださいね。

映画『人生タクシー』のかんそうの、はしりがき

みてきました。

jinsei-taxi.jp

 

企みに満ちたいい映画だと思いました。

本編上映前に、森達也さんと松江哲明さんがそれぞれ制作した短編が上映されたのだが、

本編において、こまっしゃくれた少女(この映画の主人公であり、映画監督でもあるパナヒさんの姪っ子役)を通じて語られる「映画の中の現実と、現実におきる現実」との間で、少女も撮影中のキヤノンのコンデジを下ろしながら「ちょっと! 授業で上映可能な作品じゃなくなっちゃった!」と怒るシーンがあり、そして監督自身はまさにリアル人生において上映可能作品が作れなくなった、というその「撮っていい映画、ダメな映画」っていう政治的に設定された境界線に触りそうになったりそうじゃなかったりっていうところを、日本的事象に変換してうまくすくいあげているのが森達也さんの短編だったな。「これは映像。映画じゃない」、「三流映画だからいいんだよ!」「認めたな、自分が三流だと」と笑わせるところもあり。にしても森さんってほんと演技がうまい。

一方で「自分が何かの制限により映画を撮れなくなっても絶対撮る対象」をプリミティブなものに求めたのが松江監督で、やはり、それは食欲とか性欲とかと同様の画的な強さはあったと思う。あざとい、でも、たしかに本音だろう、でもどっちだろう。そういえば古事記には天岩戸を開けさせたオモヒカネという神様がいる。

 オモヒカネは、アマテラスを外に出したい(でなきゃ世界は暗闇でまもなく滅んでしまう)と集まった神の中で最も賢者だったが出した答えは「アメノウズメにストリップをやらせる」ということだった。岩戸のこっちと向こう、小難しい境界をばんと飛び越えることができるのは根源的欲求を可視化するときなのかも。
 映画そのものは1つのドライブの中で起こり、特に女の子もったキヤノンのコンデジで撮った長回しには唸った。
そして何より、作中では積極的には語られない「撮れない事情」というものが、政治的な理由に求められるからこそ、タクシーを舞台装置に利用したただの「人生悲喜こもごも」話では終わらない。そういうところが、結果的に政治的な「境界線」を超えてしまっているこの映画の深みになってしまっているのが皮肉でもあり、羨ましくもあった。
タブーがあるからできる表現、表現と政治的タブーはこの映画においては依存関係だ。
で、ほんとに教科書に出てくるようなよく出来た映画だと思ったけど、それを一緒に見た映画製作者のKさんは隣で爆睡していた。なぜ寝れるのか。Kさんに聞いたら「特に悔しいと思わなかったから……」と。まあ、いい人と見に行った。

神仏コンシェルジェ連載はじめました。

連載はじめました。

この連載で私は、お悩み人を助けてくれる「神様」「仏様」を紹介させていただきます。つまり、「神仏コンシェルジェ」のようなことをします(笑)。

月に二回ほど連載しますので、よかったらどーぞ。

皆さんからのお悩みも募集しています。

www.gentosha.jp

 

不動明王は、江戸時代に成田山&市川團十郎という天才トレンドセッターのおかげで信仰フィーバーになり、成田詣や出開帳が行われて深川には不動堂ができた。不動明王にまつわるお話は市川家が代々演じているが、映画界だと不動明王を三船敏郎が演じている。『ゲンと不動明王』。いい映画だった。

私自身はクエーカーなんですが、神仏大好きなのでこういう連載をはじめてしまうあたり、節操が無いですが、仏教でもクエーカーでもない二宮尊徳の「報徳思想」もまさにそれで、神仏儒教は真理に至る道がそれぞれ違うと言うだけで到達する地点は同じだと説いてます。私も同じように思います