自分の地図をつくろう

新しい場所に出かけて楽しい経験をしよう

怖い。

今してることはもう少し先の自分を作るもの。
なぜか今日は自分がみすぼらしく思えてしまう。何もしてない気持ちになってしまう。
昨日。原稿を書いていた。ひとりが楽しかった。これだよな。って思った。なぜそれをやろうとしないのだろう、頑なに何もしようとしない(ここのところの原稿書きたくなさすぎる感じに困ってきた)。
自分にへばりついてるもの、習慣や執着から自由になりたい。そのためにずーっと苦しんできたけど、苦しみと友達になりすぎて、いざ失うことができる時にきて、失うことが怖い。
それで思ったんだけど、苦しいって楽しいんだ。楽しいから手放さなくてとどまりたいんだ。
でもとどまってると、時間も止めてしまって、まわりが動いてるから自分がダメに思えて自分を責めてしまう。
時間より早くたくさん自分を動かす必要はないけど、でも年齢相応の変化をして行くことは自分のために重要なことで。
そうしたら苦しみたい私は今の苦しみを陳腐化して、新たな苦しみを作り出せば良いのか。
じゃあ原稿に苦しんでみようかな。せっかく作家なんだし
書くことと愛することが怖い。怖いもんは怖いんだから仕方ないよ

願ってみる。

仕事で神社に行ったらスピリチュアル女子がたくさんいてなんか拝んでたと先日会ったおじさんが嘲笑していたのだが、それはつまりどういうことかというと、
おじさんの世界に、素直に何かを願う人々の群れが現れた。
しかしおじさんはその人たちを自分の仲間だとは思えなかった。むしろ、世知に長けた自分の方が上と見て、そういう素直な人たちを嘲笑した。
自分は素直に物事を願うような人間ではないと考えているんですよ、と嘲笑することで世間に自分を表明している。それだけでなく自分自身に強くアナウンスしている。
なぜ?
自分が何かを願うなんて「おこがましい」
どうせ「かなわない」
自分が夢を叶えるなんてことは「ありえない」
そんな気持ちが心の底にがっしりあるからなんだよね。
いや、願ってみるといいですよ、神様は聞いてくれると思います。

いろんな自分を旅してきたんだね

昼の夢で、神功皇后出て来た
ん。。。。と思ったら新しい家の氏神様だったよ

 

応神天皇の後ろに控えていた
くらい部屋の中なので顔の表情まではわからなかった
あっ、神功皇后ですか?
あなたは強くて優しくて立派な方です、憧れます
と言ったら、あなたも強く優しくになりなさい
と言われました
目が覚めてから新居側の八幡様に行きました

 

夢の中で眠りの沼に半分沈みそうになりながら神功皇后の言うことを必死で聞き取った。

「生まれて致命傷を受け、それゆえ人を恨み、妬み、批判し、歓心を買い、比較して来ました。それも旅なのですよ、今は受容というところにあなたはいますね。あなたは受容を知ろうとしています、そのあと使命や意欲などを知るかもしれません。土地をめぐるばかりでなく様々な感情を知ることも旅なのですよ」

 

って言ってるような気がしました。

そうかこれは旅だったのかと思うと、かつての自分を恥じる必要はないんだ。人を妬み批判し憎悪し嫌悪し、そして人と自分自身を許容できなかった、その感情を私は旅して来た。

 

もう知りたくないと思うか、そこにいくことが自分にはできないと思ったら旅はおわるんだな。

私はもう少し旅を続けてみたい。

 

 

死にたいって生きたいと同じなんだよね

今朝思っていたのですが
辛いこととか苦しいことを乗り越えないと得られない幸せっていうのがあると思って、それは、どこかから幸せを調達してくることではなく、自分って最初っから幸せだったんじゃん、って気がつくことなんですが、それって自分の中の光に気がつくことのような気がしています

今私は、ちょっと不思議な変化を経験しております。

事件取材記者として仕事をしていた20代の時から、察しがいいでは説明のつかない何かの直感力があることは自覚していて、遺族に話を聞いた時に、「(殺された親族のことを)本当によくわかってくれる」というようなことをよく言われていました。

で、それが最近ものすごく強くなってきて、死んでいる生きている問わず、人の意識がものすごく入ってきてしまっています。先週ぐらいまでは苦しいので大体1ヶ月くらいの間、学校に行く以外の時間はほぼ寝込んでいました。

「頭おかしくなるかもしれない」というどこか恐れも感じつつも、「それはそれでいいのかもしれない」とも思っていました。

今のイメージだと、人の意識って、駅前にたくさんいるティッシュ配りの人みたいなイメージです。
これまでは「ティッシュいりません!」と脇目も振らず駅まで直行していたのですが、今は、あ、ティッシュ受け取ってみようかな。っていう感じです。で、「いいティッシュだけ受け取ろう」というふうに、数日ほど前から考えるようになりました。

 

例えば今の私は、人の体の悪いところがエネルギーが溜まっているように見えて、思わずなんとかしてあげたくなります。それで、「放電」のイメージで自分を媒介にして地面に気を流すような感じのことをします、実際にすごく効くみたいです。触ると当然意識が流れてくるのでその人の問題や困り感がわかるので、それを話すことになります。
今、専門学校の実習で、障害者施設で自閉症の男の子と一緒に働いているのですが、彼はどこに行くにも子供みたいに手をつなぐのですが、彼の動物のような神様のような意識が伝わってくるとき、自分の方がすごく浄化される感じがしたので、他人のことも触るとわかるような気になったのかもしれません。

 

以前から察しの良さでは説明のつかない何かがわかるところがあったと書きましたが、これまでは自分の心のあり方の影響で人の負の部分ばかりがすごく見通せてしまい、かなり苦しんでいました。今考えているのは「腰が痛いとか、親の影響で調子を崩しているとか、そういうのがわかったとして、それを治してあげたとして、それが本質的なその人の幸せ感につながるのだろうか?」ということです。

 

人を幸せにするってこの段階の私にとってどういうことなのだろうということをとても考えています。

 
生きる意味って光度を増していくことなのかなって思うんですが、そう考えると私ができることって、苦しんでる人の心の中の光の存在を教えてあげることなのかもしれません

 

先日ものすごく意味がわかる感想をくれた人と今話をぽつぽつしてるんですけど死にたいって生きたいっていうこととほとんど変わらないので、それ自体悪くないですよね。っていったら彼が、死にたい人ってブラックコーヒーの中のガムシロップの甘さみたいに生きたいが絶対ある。っていってました。

彼の表現ではそうですけど私はそれは光にみえました

 

 

今の私

本を出したのが確か6月ごろだったと思います。

原稿自体は、1月には完成していたので、

今年の1月の自分と、今の変わってない部分と変わった部分があるな、と思います。

 

 

本は「こうするといいですよ」という方法を読者に示したというよりは、自分が周りの友達や本などから得た「ごきげんになるスイッチ」を実際に入れてみたらこうなった、という体験談を書いたもので、前作の『境界の町で』と同じ、実録ものだと自分では思っております。

ただ、ジャンルは自分以外の人が決めるものなので、自己啓発と思っていただいても全然かまいません。

 

本を書いたからといって、あの当時のままの自分でいるわけではないですし、どんどん考え方って変わっていくとおもうし、変わっていいと思っています。

逆に、「7つのスイッチ」にしがみついて「布教」を始めてしまうほうが、思考が硬直化してしまっている証なんじゃないかなと思います。

 

今の私が、当時の私を振り返ってみて思うのは

「すごく頑張っていたな」

ということです。

 

精神疾患になり、薬をやめたところで気がついたのは、秒単位で自己否定をしてしまっている自分のネガティブすぎる考え方の「クセ」でした。

 

これを、無理やりプラスに持っていったのが『自分を好きになろう』を書いた当時の自分だったと思います。

ついてる、を口癖にしたり、

掃除をしたり、

筋トレをしたり。

そうやって、行動を変えることで心のクセを変えていく「力技」をしていたような気がします。

 

今の自分は、プラスに自分の気持ちを持っていけたし、時にはマイナスに戻りそうになった時でもすぐに考えのクセを修正することができるようになってきたので、

思い切って、プラスに向かうエンジンを切りました。

今まではエンジンを使ってプロペラを回して思いっきり力技で空に飛んでいっていたのですが、今は、グライダーでフワーって空を滑ってるみたいな感じです。

力をぬいて。

ただ景色を楽しんでいます。

ただの自分。自分自身でいることを楽しんでいます。

 

 

具体的にはあの頃から変わった点といえば、

・積極的に筋トレをしなくなった

ということがまずあげられると思います。

 

筋トレをしなくなった理由なのですが、

筋トレをするのは体力アップというつもりだったのですが、その根底に「自分は筋肉がない」という、「ない」を基本にした考え方をしていたことに気がついた、

ということと、

「しなかった日」に自己嫌悪になってしまう、ということが嫌になったのです。

 

「努力して続けないと戻ってしまう」ことは全部無理のあることなのでやめよう、そう決めました。

つまり、「楽しみ」にすることはできず、鍛錬してしまっていたのだと思います。鍛錬は自己嫌悪を生み出すので、今の私はそこから遠ざかろうと思いました。

 

そう決めることができた理由には、

 

「それをやらなくても、自分はもともといろんなものを持っている。だから持っているものに感謝しよう。ないものを努力で得ることをする前に、あるものに感謝してそれを活用しよう」と思ったからです。

 

掃除に関しても、これまでは常にホテルレベルにきれいにしておかないと「ダメな自分に戻ってしまう」という恐怖と自己嫌悪を感じてしまっていたのですが、

今は多少掃除ができなくて散らかっていても、

「自分にはいま、部屋を散らかしているけど、自分にがそれを選んでいる。掃除をすることと散らかすことを両方選ぶことができる。自分が選択したのだから、どちらも自分ににとっては最良の選択だ」

と思えるようになってから、部屋がちょうどいい感じに快適に保てています。

 

多分今の自分がやっていることは、

「自己嫌悪になるようなことをしない」ということをしているんだと思います。

 

それは人付き合いにも言えていて、

いろんな人の意見を聞こう、広く人と付き合おうと、かつては思っていましたが、

今は、気があう人とだけ付き合って、自分の考えや雰囲気をきっちり保っていこうっていう方向に切り替わっています。

異なる意見を持つ人の存在は知っていますし、その人たちはその人たちで生きていけば、世の中の役に立っていくと思います。でも、自分とは合わないので、付き合わないでいい。そんな風に思っています。タイプの違う人と無理に付き合って気分が悪くなって「やっぱり私は心が狭い」と自己嫌悪になるくらいなら、付き合いをすっぱり断とう、というようなことを考えるようになりました。

だって友達は他にもいるし。

そう、「持っているものを大事にしよう」ということをすごく考えられるようになったんだと思います。

 

ネガティブ感情も、選べるようになりました。

本を書いた当時は、ドロドロした部分を無理やりポジティブな言葉でフタをしているようなところがありましたが、

「ネガティブな感情を選んでも、自分は絶対にダメにならない。自分は大丈夫だ」と、自分を信頼できるようになったからなんだと思います。

心のドロドロに無理やりポジティブでフタすると、中のドロドロが腐るので、ある程度自分を好きになる実感が出て来たところで(←これ大事)、ネガテイブな感情を選ぶことができるようになるといいとおもいます。
最近の私はかつて苦しめられた人のことを心の中で死ねクソ野郎とかおもう自分を許しました。

そしてその際の実感なのだが、私が死ねクソ野郎と思うと、その人はそのぶん幸せになり成功するのであった。だから私は思いっきり心の中でその人を罵倒できる。

 

 

グライダーで脱力してただただ、滑空を楽しんでいると、ふとした時に、本当に生きているだけで幸せだな、って喜びがこみ上げてくる時があります。秋の始まりの冴え冴えした朝の空気に触れた時とかに、そんなことを感じて感激して涙ぐんだりもします。

 

そんなわけで方法論には検討を常に加えつつ、自分をごきげんにし続けている毎日です。

 

書籍は、韓国と台湾でも翻訳が決まり、翻訳版が売り出される頃に、台湾での講演をさせていただくことにもなりました。

今からとても楽しみです。

 

 

台風の日は前向きに寝込む。

台風来てます。

 

天候不順のせいで具合悪いなんて、自分はなんて不甲斐ない、どうしようもない、人並み以下で弱いとか思ってましたけど、最近は「つうか、むしろ地球のバイブス受け取ってる自分って自然人じゃん」と、そんな自分が好きになりました。

 

おかげで前向きに寝込んでおります。

 

うちのねこを観察してても、やっぱり低気圧の日ってどべーっと寝てるんだよね。

 

人間もねことおなじ動物。

だったらねこが寝込むぐらいなら、私も寝込んで当たりまえだし。

 

で、天候もそうだけど、うつ状態が重い時も寝込んじゃうんだけど、それって天気と同じく病気が「おまえ、自分で思ってる以上に疲れてるるんだから今寝とけ」って言ってくれてるんだよね。

自分がもう、疲れてるんだって自分でわからないぐらい疲れてるから、うつが自分を強制終了してくれているっていうか。

 

天候だって、「低気圧の日って大抵大雨降ってるし、外に出ない方がいいよ」ってことで頭痛くしてくれたり、うつっぽくしてくれたりするのかもしれないし。家で寝込んでりゃ、外出て看板飛んで来て頭に直撃して即死するリスク減るもんね。

 

ってことは、天気も病気も、自分が出歩かない方がいい時に、自分の調子を悪くしてくれているのかもしれない。

そうやって天気だって病気だって自分に「家で休んでろ。寝てろ」って言ってくれてるのに、自分だけは「今日も活動しなきゃ」って強迫観念に囚われてる。でもそれができなくて、罪悪感を生産してる。

 

今日は寝込んでても。

掃除もしなくて家事をしなくても。

ねこのトイレそのまんまでも。

勉強できなくても。

 

1年の期間で均してみたら、数日寝込んでてもたいしたことないんですよ。

だったら前向きに寝込むぞ。私は。

ってことで、ねこといっしょにどべーっとしておりました。

 

少しだけ本を読んだり、Twitterに張り付いたり、パフェを食べに近所の喫茶店に行ったり。

やったことといえばそのぐらい。

でも、すごくたのしかったなー

 

明日も寝込むぞ。

 

妊娠中絶を決めた時に考えていたこと

私が妊娠をしたのは、2000年の秋頃だったと思います。いくら思い出そうとしても思い出せないのですが、断片的な視覚的な記憶をかき集めて判断すると、夏の終わりか秋頃だった気がしてます。

 

その頃の私は、新卒で入社したばかりの会社で、週刊誌の記者として働いておりました。

 

多分まだ、試用期間中だったと思います。

正社員で入社しても、6ヶ月の間はトライアル雇用で働き、その後本採用になる、みたいなそういう契約だったと思います。

ただ、就職した会社が超ホワイトで、私の先輩などは、単位が足りずに大学が卒業できずに入社した人もおりました。その先輩は高卒扱いで入社させてもらって、特定の曜日だけ休ませてもらい、一年かけて単位を取り直して大学を卒業し、翌年から大卒社員として採用し直してもらっていたのですが、今思えば超優しい会社でした。なので、試用期間中に犯罪でも犯さない限り、採用取り消しにはならなかったんじゃないかと思います。

 

お腹の子供の父親となる男性は、不倫でも彼女持ちでもなく、普通に付き合っている恋人でした。ただ、年上のバツイチで、奥さんの方がお子さんを引き取っておられました。

 

妊娠した、とメールで告げた時も、逃げるとかでもなく、「仕事が終わったら話そう」と言ってくれました。で、あった時に、「エリはどうしたい?」と聞かれ、私は「おろしたい」と即答しました。

 

その後、四谷にあった産婦人科に彼と一緒に行き、手術をしました。

麻酔から覚めると全部終わっていて、ベッド脇の椅子に座っていた彼は、ぼーっと私の顔を見ていました。テーブルには紅茶とクッキーが置いてありました。

 

中絶を決めた時何を考えていたのかというとことを今回書こうと思っているのですが、一言で言うと、

 

もし子供を産んだら「せっかく得た仕事がなくなってしまう」っていうことだったような気がしています。

 

いわゆる一流私大に入学して、就職氷河期のため周りは就活全敗している中、自分はさっさと就職を決めた、という自負心のあった当時23歳ぐらいの私が何を考えて居たかというと、

 

「子供を産むと損する」

 

ってことだったのかなと思います。

 

で、実は最近までずっと「子供を産むと損する」って思ってました。

あまりにもその考えが強すぎて、自分の中であまりに自然になりすぎていたので、自分で「子供を産むと損する」って思っていることすら意識できないぐらいでした。

 

ある時なぜ、「あ、私、子供を産むと損するって思ってるんだ、思っていたんだ」っていうことに気がついたかというと、これも友達と話していてのことなのですが、

 

「親って自分が生まれたことでだいぶいろんなやりたいことを我慢してきたと思う」

 

ってその友達が言ったことがきっかけなんですよね。

 

私はその時に、

 

「いや、親はいろんな選択肢がある中で産むことと育てることを選んでるんだよ。なんなら中絶だってできたわけじゃない。やりたいことと子育てと天秤にかけた時、いろんな社会の風潮や、世間の縛りを差っ引いても、それでも子供を選んでるんだから、その選択をしている時点で幸せなんだよお母さんは。人って幸せを選ぶ生き物だと思わないと悲しすぎるでしょ」

 

みたいなことを言いました。

その話をしている最中に、「ああ、そう言えば、私は中絶したことあるなあ」って思い出したんです。

 

つまり、中絶を決断することで、自分の「やりたいこと」を選んだつもりになっていた、ということだったんだなと思いました。

そのやりたいこととは、出版社で働く、っていうことでした(書いてて笑っちゃう)。

 

こう書くと、「妊娠とキャリアを両立できないなんて、社会は妊娠した女性に厳しい」みたいな思考につながっていっちゃうような気がするんです。

当時の私も、そういう風に考えていたと思います。

 

でも、実はそういうことではないんじゃないかなって思うんですよ。

まず先に「産みたくない」があるから、「社会の障壁」「相手の男性のせい」とか建前を持ってくる。

そしたら自分のせいじゃなくなるし、罪悪感を感じずに済むから。

 

今の自分なら、「出版社」と「自分の子供」を天秤にかけるまでもなく、瞬速で「自分の子供」を選びます。比べるまでもない、と思います。

ちなみに、当時のその彼氏との関係は不安定すぎてすぐに別れる予感でいたので、その人に食わせてもらう気は当時からなかったです。

 

じゃあなんで、「会社」を選んじゃったのか。「子供っているだけ損する」って思っちゃったのか。

 

 

それは、

 

私の母親が「子供がいなければこんなことができていた」

 

みたいなことをたくさん私に言ったからです。

 

 

「エリがいなければ、中学受験にかかる費用で車を買えた」とかですね。

私にそんなことを言われても困るわけなんですけども、そういうことをことあるごとに言われてきました。

 

 

結局親のせいかよ

 って言われるかもしれませんが、

 

 

「お母さんは私を産んで人生を犠牲にしてるんだ」

 

っていうのもまた、最近まで気がつかないぐらい強固な信念としてあったのは事実です。

 

 

だからこそ、

 

「子供を産むなんて、損するばっかりのことしたくない。やっと自分で稼げるターンになったのに。やっと自分が主役の人生が始まるはずだったのに。なんで子供にそれを奪われないとならないのだろう」

 

っていう気持ちになっていたのだと思います。

 

そしてこれは女性性の否定にも繋がって行った気がしていて、実際私は母が自殺した後2年間生理が来ませんでしたし、その後ずっと生理不順だったのですが、

 

 今回、

自分は自分が妊娠すること、子供を産むことを拒絶しているのと同時に、

自分の女性性も拒絶して来たんだな。

 と気がついてから私は自分に謝りました。

どこに謝ったらいいのかよくわからなかったので、とりあえず自分のお腹に手を当てて、ごめん。って何度も謝りました。

 

私はどう頑張っても男にはなれません。

私はどうせ女なんです。

だったら、女であることを受け入れて生きていけばいい。

 

そう考えてから、1ヶ月で生理不順が治りました。

もう、10年以上生理不順に苦しんで居たので、これには驚きました。

 

今、自分が思うのは、社会が妊娠した女性に厳しくても厳しくなくても、私には関係ないということです。

私は今後妊娠したら、今度はどんな障壁があっても子供を産みます。

 

妊娠したら居づらい場所もあるのでしょうが、それならそこから離れて、妊娠を歓迎してくれる所に行けばいいと思っています。

 

自分は子供を産むこともできます。子供を産まずに会社に居続けることも、もちろんできます。

でも、子供ができたのに産まないその理由をよく考えてみた時、キャリアパスが絶たれるから、とか、今の彼氏が頼りないから、とか、結婚できない相手だから、とか、それって本当に心から感じている「理由」ですか?

 

ちょっと話がずれるのですが、私自身、その後結婚しましたが、「もう堂々と子供を産んでも大丈夫」となった時に、今度はどうがんばっても妊娠することはありませんでした。

それで思うのですが、子供ができない、と悩んでいる人の中には、「本当は子供が欲しくない」って意識の底で強固に子供を拒絶しているっていうことがあるような気がしています。

 

もう一度自分の中の女性性に問いかけてみるといいのかもしれません。