久しぶりの八潮
幼女だった頃の私です。
ここは、埼玉県三郷市の「天使幼稚園」というところの、園庭だと思います。
姉の通っていた幼稚園です。姉の卒園式なのかなんかの時に、タイヤに乗れる映里ちゃんを周囲に見せつけてドヤりたくて、高そうなワンピースを着せてもらっているのに、オテンバしてしまってます。
私は姉とは違う幼稚園、「みさとひかり幼稚園」に通うことになったのですが。おおたにかつこ先生元気かな。
ところで私は、2歳ぐらいからの記憶が断片的に残っているのですが、姉は、中学頃までの記憶が全く無いと言っていて驚きました。
15歳まで、三郷にいました。
私が生まれ育った場所、父が徐々に家の中で存在感を消していき、いつしか全く帰ってこなくなり、その代わり他の男性が母につれられ家にやってきて、そして家族が離散した場所でもあります。
その当時のことを前のブログに書いたので、よかったらどうぞ読んでみて下さい。
父とは20歳頃かな、どうしても大学の学費が払えなくて、父に足りない分を工面してもらえないかとお願いしたのがきっかけで再会しました。
母は、父の居場所はもうわからないと言っていたのですが、会ってみたら何の事はない、三郷と江戸川を一本隔てた流山に住んでいました。
すれ違ったりしても良さそうなものを、私たちは全くお互いの気配を感じずに何年も過ごしてたんだなと。そう考えると、距離的に近くに住んでいても、きっと一生会わないままのひとっているんだろうな。かつて家族だったひとでさえ、そうなんだから。
今日は父と一緒にゴルフの練習に行ったんです。父がこの1年ゴルフに行ってないというので、父の運動不足を心配した私は、ついにゴルフを始める決意をしました。
私は、ほぼ初めてゴルフクラブを振ったのですが、ビギナーズラックなのか、ボールが全部ちゃんとヘッドに当たって前に飛んでくれました。そういえば私、バッティングセンターとかでも、球をバットにほとんど当てることができるんで、それはもしかしたら速読が得意だからなのかもしれない(動体視力)。
それで、父に「八潮でさ。すっごい美味しいパキスタン料理の店があるんだけど、いかない?」って誘ったんだけど、あっさり断られました。「辛いんだろ? おれむり」。まあなあ。昭和25年生まれの人って、私たちに比べたら食べ物に保守的な気がする。そんなわけでひとりでつくばエクスプレスに揺られて八潮に行きました。八潮は、三郷のとなり町です。
ホームに降りたとたん、なんというか私は勝手に悲しかった。
私はおそらく20年ぶりに八潮の土を踏んだのだろうか。
平坦なこの町には、巨大な駅と建物ができていた。大きなショッピングモールや、マンション群。驚いたことに東横インまであった。
例えばダムに沈んだ集落があったとして。水底に沈んでも、水の下には村が残っていて、夏の渇水期には生活の痕跡が現れたりするけど、ここは揮発もしなければ干上がりもしないコンクリートの建物により、歴史が上書きされていた。
何もかも変わっていてわたしの記憶の拠り所を探すことすら難しい。
消失点まで道が見えるぐらい、真っ直ぐで平らな道をてくてく歩く。
ちょっとだけ懐かしかったのがこの、高速の高架下を歩いた時だ。 そう。こういう風景の中を、私は自転車やローラースケートを走らせて遊んでいた。女の子たちと遊ぶときは、チョークを学校から持ってきて、マルを描いて「ケンケンパ」をした。
ところで私は、2000年ごろから、神楽坂にある「龍朋」という、昔ながらの街場の中華料理屋に出会ったことで、チャーハンにハマった。
誰から受け継いだ性分なのかはわからないが、私は気に入ると同じモノを繰り返し食べる癖がある。そんなわけで飽きるまで食べてやろうと思ったのだがこれが全然飽きなくて、2011年の冬頃まで、週に2,3回は食べていた。会社の庶務の女の子が、私の誕生日プレゼントとして、5000円ほど龍朋にお金をデポジットしてくれたこともあるぐらいだ。おそらく、総量で言えば、ドラム缶9本以上は間違いなく食べたと思います。
なんでこんなにチャーハンが好きなのかわからないのだが、米国でも、ドイツでも、パラオでも、タイでも、どんな国でも必ず一度はその町で一番美味しい中華料理屋を教えてもらい、チャーハンを食べていた。
その後双極性障害になって、物理的に龍朋に通えなくなったため、アディクト状態から抜けることができた。ところがそのあとに、ハマってしまったのがビリヤニだ。
東京で昼にビリヤニを提供してくれる店は調べがつく限りほぼすべて潰したと思うが、私が今一番好きなのは、前も書いたけどエリックサウスだ。
そのエリックサウスのイナダシュンスケさんという、メニューを作ったりしている「中の人」が、Twitterでリツイートしていたのが八潮の「カラチの空」なのだ。
私が暮らしていた時は、何もなかった町。いまは、その町にこんなうまそうな店があるとは。
25分ぐらい歩いただろうか。
場所は駅から一本道でひたすら直進するだけなのでとてもわかりやすい。その上、とても目立つビルだ。オレンジだ。
雰囲気が日本じゃなさすぎて、笑ってしまった。
店は独特のインテリアで、なおかつすごく清潔感があった。すごく好きな感じだ。
ちょっとした雑貨とか外国産のお米とか、独特なラベリングの調味料とか、衛星チューナーとか、携帯電話も売ってます。パキスタンの人たちが買うんだろうね。
コックコートを着たお兄さんに、ビリヤニが美味しいと勧められたし、もともと頼むつもりだったので、じゃ、チキンビリヤニくださいとお願いした。
その際に、ハラルですか? と聞いたら、完全ハラルです、と。
お酒は? と聞くと、ノンアルコールのビールはあるけど、店からはお酒は提供しないんです。でも、持ち込みはOKだよ。って。やっぱそうか。あー、次からは酒買っていこう。
で、ビリヤニを待っていたら、遠くの壁に結構大きな額縁をみつけて、読んでると「広野町」って書いてある。「東日本大震災」って文字も見える。
立ち上がり近づいてみると、なんか、支援への感謝状だった。
私にとっての第二の故郷、福島県双葉郡楢葉町のとなり町が広野町だ。
八潮の人、しかもパキスタン出身の方が、なぜ広野に? すごい偶然もあるものだと驚きながら読んでいると、「ビリヤニタベタコトアリマスカ〜?」と話しかけられた。
オーナーのジャベイドさんだった。
「あります。大好きなんです。ところで、この感謝状。広野にはなぜ行ったんですか?」
「地震の時に、カレーを作りにいったんですよ」
「前に住んでいたんですか?」
「ううん、僕はもともと横浜に住んでたの。地震があったから、カレーを食べてもらいに作りに行ったの」
「一回?」
「ううん、何回も行ったよ」
「そうだったんですね。わあ、ありがとうございます」
ありがたい人だなあ。
その、ジャベイドさんにインタビュー記事がこちら。なぜ日本に来たのかとか、なぜ八潮なのか、とかその辺のことがわかります。
なんでこの店を知った? と逆にジャベイドさんに質問されて、エリックサウスっていう店の人のTwitterで見ました。私、ビリヤニが好きなんです。だから食べに来たんです。と言ったら、ここのは日本風にしていないから、辛いかもしれないよ。と言われたんだけど、むしろ辛いのが好きなので、内心盛り上がる私。
「日本風にしていないメニューはね、たとえばこれもそうなの。これ、サグね。サグ、わかる? 日本でサグカレーは、ほとんど90%ほうれん草で作っているでしょう。でも本当のサグは菜の花なの。この鍋一杯に菜の花をいれて、少しずつ少しずつとろ火で煮ているんですよ。4時間ぐらいすると美味しいカレーになるの」
なんと厨房に入れて見せてくれました。楽しい。笑
おおお。
サグも頼むしかない。しかしそこは、悲しいかな女のソロ活動のため、食べられる量に限界があるので、おみやげにしてもらいました。
厨房から出て席に戻ってジャベイドさんと雑談していたら、やってきたのが大柄な男性で、それが自動車輸出業を営むアリフさん(やはりパキスタンの方)でした。
実は、道路挟んで向かいにも、パキスタン料理の店があるんです(ただし、コックさんはネパール人だとか)。
向かいのお店はここです↓
ここも本格的。
もともと「カラチの空」が15年ほど前にできたのがはじまりで、その後、パキスタンの仲間がどんどん八潮に集まってくるようになり、それにしたがってパキスタン料理のお店も増えた、とか。
モスクも近くにあるそうです。知らないことばっかりだなあ。
「この辺のパキスタン料理はどの店も美味しいと思う。日本で一番、パキスタン料理が美味しいのは八潮だと思うよ。名古屋や大阪に住んでるパキスタンの仲間も、ここに食べに来るよ」と、アリフさん。
お仕事の話も少し教えてくれました。
「自動車って、乗用車だけ? トラックとかも輸出します?」
「トラックもやるよ」
「バスも?」
「バスもやる」
「バスって高いらしいですよね」
「高いね」
「船で輸出ですか?」
「そう、船」
「え、パキスタンって海ってあるんですか?」
「あるよ。カラチ」
「ああ、この店の名前のカラチって、海のある町なんですね」
「そうだよ。飛行機は直行便で、イスラマバードとか、ラーホールとか行くよ。便利だよ。行ったことない?」
「ないけど、行ってみたい!」
そんな話をしてると、来ました。チキンビリヤニ。すげえ量。3人前ぐらいを盛り付けるのが、ふつうなんだって。「スモールとか、大盛りとかそういうサービスはパキスタンにはないんです」とのこと。もちろん持ち帰り用の折り詰め完備です。
私は彦摩呂さんじゃないので、うまく表現できませんが、本当に美味しかった。
パキスタンの味がした。ぶっちゃけ、エリックサウス最高だと思ってるんですけど、それとは別のベクトルでちゃんと尖ったスパイスと辛味があって、ちゃんと外国の味がしました。
「どう?」
と聞いてきたアリフさんに食い気味に
「美味しい。超美味しい」と私。
「辛くない?」
「いや全然辛くない」
「へぇ、すごいね。日本の人みんな辛いの苦手なのに」。
私耳の鼓膜がジーンてなるぐらい辛味がないと食べた気しないんだよな。
振る舞ってもらったラッシーを飲みながらまたおしゃべり。
おみやげを作ってくれたので、また来ます! と元気に席を立って、お会計をしてもらったら、
ビリヤニと、サグマトンカレーとナンでなんと2000円しませんでした。安すぎる。
ふつう、ビリヤニ単品で、一人前の量で、東京だと1500〜1800円ぐらいします。
なんか、駅を降りたとき感じた、私だけの土地の記憶が奪われたような悲しさ。そういうものって、ここでビリヤニ食べている間に忘れてました。
だから、うっかり悲しさって人に話さないほうがいいよね。
だって、ほんの2時間でこんなに機嫌が変わっちゃうんだから。
そうだよな。ジャベイドさんだって、アリフさんだって、みんな、故郷を遠く離れて暮らしている。それでも、なにか、故郷を召喚する装置みたいなものを、流れ着いた先の町に作っているんだ。例えばこの店のこんなに美味しいビリヤニとか。そうやって、みんな工夫して生きていっているんだなって。
私はそうやって流れていった先でも、自分をちゃんと楽しませて生活している人たちが好きなんだ。
ごちそうさまでした。