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自分の地図をつくろう

新しい場所に出かけて楽しい経験をしよう

或るhistorian/writerから。

たのしい生活 本の話

歴史家の二上英朗さんのことはこの記事で書いた。

www.okimhome.com

書いたあと読んでもらい、ちょっと事実誤認もあるが、まだ訂正記事をしていないので、申し訳ないと思っていたのだけれど、でも、これはすごく好きな記事だ。

 

今日、二上さんが、Facebookにこんな感想を書いてくれた。

嬉しかったので全文引用させてください。

涙が出ました。感謝します。

 

岡映里はみずからの気持ちをあとがきで「苦しんだ」と告白する。その苦悩にうちのめされて鬱状態で最初の編集者の出版のオファーに応えきれずに暫く臥せったとも言う。その苦しみはどこから来るのか。思いめぐらすと、彼女の生育過程やいまの状況にいたるまでの、さまざまの具体的事象はあるのだろうが、人が苦しむときに心を蝕む主因は「怒り」であることが多い。その怒りはどこから来るのか。もはや分析しても意味のない地点にまで生きてきた彼女は、それを解決するか、折り合いをつけて生きるほかないから苦しくなる。中途半端なままに、新しい状況の世界を見せたのが311だった。呼吸するにも苦しいから「死んでしまいたい」とさえ思いつめた時もあることさえ忘れさせたのが、それ以上の悲惨を絵に描いたようなフクシマだった。そこは彼女に、新しい感覚を味わわせて魅了した。息をし、好奇心を高速度撮影のごとくに成長させ、もっとも得意な職業的な本能が刺激されて、次から次へと携帯内臓カメラのように文章に定着させたのは、ジャーナリズムの最初の津波がおさまった3年たった後のことであり、ICレコーダーに録音されたインタビューメモを、書き起こし、全体を推敲して構成し直してからだという。われわれが、もはや過ぎ去って忘れつつある311直後の感覚を、この文章によってまざまざと思い起こし、取り戻すことができるのは、この彼女の「苦しみ」ゆえである。苦しみは、たしかにつらいものだが、それは「力」となりうる。苦しみをもたらす「怒り」こそは、もっとも激しい力の源泉となりうるからだ。
文章とは、エネルギーを、コントロールする必要があり、知力を要する。だからこそ良い文章を練りあげてゆくためには時間が必要になるのだ。怒りから救われるために、苦しみから解放されるためには何が必要か。それは「許す」ことだろう。許せないこだわりを、ついには許す瞬間が来ることを願うしかないのだ。
彼女は、この本を書きあげたときのやすやぎを説明するかたちで「福島で出会った好きな人達のことを書きました」と答えてくれた。つまり、福島に惹かれて長距離バスで通う目的地にある「すべてを失った地域」の人々の、まったき善意だった。怒りを克服して「許す」しか生き延びるすべのないフクシマ・ピーポーの、振り切れた針のかなたにある他者への限りない優しさに触れて、彼女は「癒し」を体験してしまったのだ。
本書が、男書き手法の数多いレポートではなく、青い鳥を求めて巡礼した少年少女の童話のような清々しい結末のような読後感を与えるのは、それゆえなのだろう。
「フクシマ」を自分のキャリアの出汁にしようと乗り込んできた有能なメデイア人も医者もライターも、くさるほど見てきた。現地人代表の郷土史家作家としては食傷しうんざりもしてきた。
しかし彼女と初めて出会った福島の12月。短い面会を、巧みで滑稽な味付けでブログにスケッチされた文章に、映画スタッフの現地ガイドの役として出現した自分の娘のような彼女が、福島を訪問して本質的な福島を描いてくれたライターとして、合格点をはるかに超えた同朋としてのフクシマ・ピーポーの一人として迎え入れたい。
「お・か・え・り」と。

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アメリカがベトナムに介入した時点で「他国の内臓に手を突っ込んだ段階で同じ病気に罹った」と表現されたフレーズを思い出した。311以後の3年間を再構成することで作品化し、当初は自分自身さがしで福島にかかわった作者が、苦しみながらも、あれらの体験を「作品」世界に封じ込めることに成功した。岡映里「境界の町で」これはひとつの創造の物語である。

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読んで涙が出てきた。怒りというものにずっと苦しめられてきたからだ。怒りと許し。許しに至るには怒る必要があり、怒るためには私は何に怒っているのかを知る必要があった。それはほとんど地獄の釜の蓋を開けるような作業だったと思う。開けたが最後狂気の世界に行ってしまうんじゃないかという恐れ。誰にも助けてもらえず、それは自分でやるしかないのだ。
悲惨と思えた自分の生活よりも悲惨だった福島の彼らにうっかり救われてしまったこと。そこで出会った親方に「俺、今ビッグチャンス来てると思ってる」「飲む? セシウム茶」って言われて頭が爆発したこと。そこで、これまで生きてきた憂さをすべて忘れられたこと。すべてがその通りで、泣けて仕方ない。書いて良かったです。ありがとうございました。

 

2014年4月の出版から、もうすぐ3年になる。

息の長い本になったことを、この本に「出演」してくれたすべての福島の人達と、そして、なにもないところから伴走してくれた大好きな編集者の浅原裕久さん、出版社のリトルモアの皆さんに感謝します。素敵な帯を下さった柳美里さんにも。